21世紀の末期医療

(21世紀の末期医療 監修:厚生省健康政策局総務課 2000/6/10発行 中央法規出版)抜粋                                         

監修 厚生省健康政策局総務課

 

末期医療に関する意識調査など検討会報告書 

平成10年6月26日

 

T はじめに

U 本検討会における議論の対象

V 末期医療における国民の意識の変化

W 国民と医療従事者との意識を通じてみた末期医療

1 末期医療への関心

2 告知と説明

3 治療方針などの決定 

4 痛みを伴う末期状態の患者における医療の在り方等

5 治る見込みのない持続的植(6 物状態の患者における医療のあり方

7 患者本人と家族、患者本人と医師・看護職員との意識の差

8 リビング・ウィル(文書による生前の意思表示)

9 医療現場における医療従事者の取り組み

 

X 適切な末期医療の確保に必要な取り組み

Y おわりに

 

 

 

 

 

 

 

21世紀の末期医療 厚生省健康政策局総務課

今後の末期医療の在り方について

末期医療に関する意識調査など検討会報告書

T、はじめに

○今日までの医療技術の進歩によって、様々な疾患に対して有効な治療法が発見されてき たものの、進行癌などの難治性疾患にあっては、今日の医療水準では、治療効果の向上が望めない場合がでてきた。

そのような今日の医療水準で治療効果の期待できない末期状態の患者に対する医療においては、過剰な延命治療に対する批判、医療従事者における緩和ケアの知識不足等の問題が指摘されている。

このような状況を踏まえ、回復の見込みの無い末期状態にある患者に対しては、苦痛な の症状の緩和に重点をおいた治療が求められるようになってきている。

○また、最近の末期医療を巡る動きをみると、国内外ともに様々な動きを示している。例えば、諸外国の例として、オランダにおいては医師がいわゆる安楽死を実施した場合、明らかな患者の意思によって、一定の条件の下で行われたもので、検察官が違法性阻却事由に相当すると認めたものは告訴されないとした遺体処理法が平成5年11月に改正され、オ−ストラリアの準州においては、平成7年5月に患者の安楽死を権利として制定された法律「末期患者の権利法」が連邦議会により無効とされ、また、アメリカのオレゴン州においては、医師による自殺幇助に関する法律について連邦地裁で一旦執行停止になったものの、平成9年11月の住民投票により存続が決定された動きなどがある。

一方、国内の例としては、平成4年3月「末期医療に臨む医師の在り方」(日本医師会)、平成6年5月「死と医療特別委員会報告」(日本学術会議)がまとめられ、また、平成7年3月には東海大学安楽死事件の刑の確定、延命医療の中止の手続きを明確化する病院の動きなどが出てきた。

このように、末期医療においてはいわゆる安楽死、尊厳死(自然死)等の問題を巡る動きがみられるようになってきている。

こうした回復の見込のない末期状態にある患者に対しては、医療上適切に対応する必要があるため、平成5年に「末期医療に関する国民の意識調査等検討会」を設け、末期医療の在り方について議論を行ったが、その後においても、末期医療については国民の関心が引き続き高く、また「国民医療総合政策会議中間報告書(平成8年11月)」においては、末期医療について、「生命倫理の問題があり、広範な議論を行い国民的合意形成が図ることが必要がある」との指摘を受けた。

末期医療の在り方については、日本人の生命観や倫理観等を踏まえて、様々な角度から議論が必要となるため、平成9年8月に「末期医療に関する意識調査等検討会」を設置し、我が国におけるふさわしい末期医療の在り方について、幅広く検討を行い、今般以下のとおり、意見をとりまとめたものである。

 

U、本検討会における議論の対象

本検討会では、平成5年「末期医療に関する国民の意識調査等検討会」における調査結果と現状の対比を行うため、改めて調査を実施し、末期医療における国民の意識の変化、現状における国民及び医療従事者の意識の格差の把握を行い、我が国にふさわしい末期医療の在り方について検討を行った。

今回の調査については、平成5年に行った調査を基本とし、当時の調査結果と比較することを目的に20歳以上の国民(5000人)を対照とし、また、新たに診療所、病院、緩和ケア病棟、訪問看護ステ−ションに所属する医療従事者「医師(3,104人)、看護職員(6,059人)」を対象に追加してアンケ−ト形式で実施した。

その調査項目については

末期医療に対する関心

病名や病気の見通しについての告知と説明

治療方針の決定等

痛みを伴う末期医療における延命医療の希望及び療養生活の場所

治る見込のない持続的植物状態における延命医療の希望

リビング・ウィルに対する意識

患者と医師との話し合い

医師、看護職員における末期医療の悩みと疑問

医師、看護職員における疼痛管理の知識

末期医療の課題

等を設定した。

また本検討会における議論の対象としては、末期状態や持続的植物状態など様々な病態があるが本検討会における議論を深めるため、平成5年「末期医療に関する国民の意識調査等検討会」において議論の対象となった「痛みを伴い、しかも治る見込の無い死期が迫っている場合(以下「痛みを伴う末期状態」)」、持続的植物状態を「持続的植物状態で治る見込が無いと診断された場合(以下「治る見込の無い持続的植物状態」)」に限定した。

なお、本検討会で用いる用語については、平成5年「末期医療に関する国民の意識調査等検討会」において議論のため設けた定義を基本としたが、その後の学問の進歩等を踏まえ、その定義を一部見直している。

安楽死

安楽死とは、一般には本人の自発的要請に基づき、医師が医療的方法により死に至らしめることをいう。

尊厳死

尊厳死とは、本人の自発的意思で延命医療を中止し、人工呼吸器など医療機器を用いた医療処置によらない自然な状態で、寿命がきたら自分らしく迎えることのできる死(自然死)をいう。

リビング・ウィル

ここでいうリビング・ウィルとは、文書による生前の意思表示をいう。

末期状態の期間

末期状態の期間としては、6ヶ月程度あるいはそれより短い期間とした。

持続的植物状態

持続的植物状態とは、脳幹以外の脳の機能に障害が生じ、通常3〜6ヶ月以上自己及び周囲に対する意識がなく、言語や身振り等による意志の疎通はできないが、呼吸や心臓の動き、その他内臓機能が保たれている状態をいう。

なお脳死とは、脳全体の機能が失われた状態をいう。

単なる延命医療

単なる延命医療とは、生存期間の延長のみを目的になされれる医療をいう。

 

V、末期医療における国民の意識の変化

国民に対する今回の調査については、基本的に前回の調査(「末期医療に関する国民の

意識調査等検討会」において平成5年に実施された調査)と同じ項目とし、その調査結

果について、前回の調査との比較を行い、末期医療における国民の意識の変化を分析し

た。

前回の調査では、国民は末期医療に高い関心をもち、痛みを伴う末期状態、治る見込の無い持続的植物状態については、多くの者が苦痛等の症状の緩和や、自然に死期が迎えられるような末期医療を希望していること、リビング・ウィル(文書による生前の意思表明)に対しては法制化を望む者は少なく、安楽死を容認する者も少ないという内容であった。

このように、平成5年から平成10年にかけて末期医療における国民の意識には殆ど変化を来していないことが確認された。

 

W、国民とと医療従事者の意識を通じてみた末期医療

末期医療への関心

医師、看護職員の大多数は末期医療について関心をもっている(81%、94%、 96%)。しかし、70歳以上の国民は他の年齢層と比べて関心が低く(70%)、また、 診療所 に勤務する医師、看護職員は、全体としては末期医療に関心をもっているものの、他の施設に比べると関心の程度の度合いが低いことがわかる。

末期状態を来す疾患として癌、脳卒中といった疾患は、個々人にとって他人事ではなく、自分自身や家族がいつ罹患してもおかしくない疾患である。このため、末期医療は身近な問題として捉えられ、高い関心が寄せられるものと考えられる。また、たとえ末期状態にあっても、患者にとって、自分の残された人生をどのように生きていくかと言う考えをもつことは重要なことであるし、患者自身がその考えを実現して、個々人にふさわしい人生が送れるよう、医療の面から支援していく医療従事者側の役割がある。

 

このようなことから、末期医療に関しては関心のある者を増やすとともに、その中か

ら末期医療に従事する良い人材やボランティアが多く出現することが期待されている。

告知と説明

国民のみならず、医師や看護職員自身においても末期状態を来す疾患にについて70〜80%が病名や病気の見通しについて知りたいと思っており、ほぼ全員が担当医から直接説明を受けたいと思っている。一方、病名や病気の見通しについて、まず誰に説明するかについては、医師では「患者の家族に説明する」(59%)「患者本人に説明する」(3%)、また、看護職員でも「患者本人に説明する」(4%)という回答であった。

このように、国民のほぼ全員が医師から直接説明を受けたいと望んでいるが、医師が先ず説明する人としては、通常では患者本人ではなく患者の家族に説明しているのが現実である。欧米では、医師は、患者本人のプライバシ−に関わる事項についてはそのプライバシ−を尊重し、通常本人以外に説明することはないが、我が国では、医師は告知により患者が受けるであろう精神的な苦痛にたいして配慮を行うとともに、患者本人と家族の一体的な絆が比較的強いことから、医師は先ず患者の家族に説明するといったように、いずれ患者本人に説明するとしても家族の意向を尊重するといった傾向を示している。このような傾向を示し、医師がまず患者本人に説明できない一つの理由としては、告知に関して患者本人との意思疎通を図る手法に必ずしも医師が習熟していないため、告知を行うことについて医師側に心理的抵抗があるものと推察される。

一方、患者との意思疎通を図ることを重視している緩和ケア病棟の医師については、先ず「患者の家族に説明する」との回答が40%あるものの、「患者本人の状況を見て患者に説明するかどうか判断する」との回答が48%である。今回調査対象となった緩和ケア病棟に従事している医師数は約50人と少ないものの、緩和ケア病棟における活動は今後の末期医療の取り組み流れを示唆していると考えられ、一般的な医師においても今後このような取り組みの方向へ変化していくことが予想される。

今回の調査において医師から直接説明を受けたいとする国民の希望や緩和ケア病棟の医師の取り組み状況をみれば、病名と病気の見通しについての告知の対象は、原則として患者本人であるべきとの考え方に向かってはいるが、我が国においては、家族が患者本人に一番身近な存在として、患者本人と医療従事者とを繋ぐ重要な役割を担っていることから、多くの医師が先ず告知する対象は家族となっている。

一方、医師が病名や病気の見通しについて患者や家族が納得できる説明ができているかということに関しては、大半の医師や看護職員が肯定的な回答(88%、85%)であったが、4%の医師、27%の看護職員が「できていない」という回答があった。患者や家族に納得のいく説明を行うには、医師にあっては、患者に対する適切な説明の他、患者に対して十分な説明ができる時間や患者のプライバシ−へ配慮された場所の確保などの環境を整備していくことが必要ある。

患者に対して告知するにあったっては、医師は患者の意思に配慮すると共に患者の告知による影響を考えずして一律に告知することは避けるべきであり、また、告知後の患者に対する精神的支援が重要となるため、医師は患者と十分に話し合い、患者の話に耳を傾ける姿勢をもち、日頃より患者の希望や意思を適切に把握し、良き人間関係を予め構築していくことが必要である。医師はそのための意思疎通を図る手法や告知後の患者の精神的支援を図る手法を修得しておくことが必要がある。

治療方針等の決定

患者が治る見込のない病気に罹患した場合その治療方針を決定するに当たり、先ず誰に意見を聞くかと言うことに関しては、医師、看護職員において、「患者本人の意見を聞く」と言う回答率は低く(9%,16%)、「患者本人の状況を見て誰にするかを判断する」という回答が過半数であった(55%71%)。さらに、医師においては、それに続いて「家族に聞く」(35%)であった。

一方、緩和ケアの医師においては、「患者本人の意見を聞く」(37%)「患者本人の状況を見て誰にするかを判断する」(46%)という回答であった。このように末期状態における治療方針という重要な事項の決定に当たっては、多くの医師は患者の意思を重視しているものの、先ず患者本人の意見を聞く状況に至っておらず、現場において患者の状況をみて悩みながら対応しているのが現状である。

治療方針の決定については、患者本人に適切に告知されているならば、基本的には患者本人の意見を聞くことによってその決定が可能となる。より適切な医療を続けようとするならば、患者の意思や状況に配慮しつつ、何れかの時期に、患者本人に対して病名等の告知を行っておくことが望ましいと考える。

一方、単なる延命医療を続けるべきか中止するべきかについて、患者と医師との十分な話し合いが行われているかということに関しては、国民、医師、看護職員において「不十分と思う」または「行われているとは思わない」という回答が過半数を超えた(53%76%67%)。又「行われている」という回答は10%前後であった。

告知における取り組みと同様に、患者と医師との間で信頼関係を構築し、両者の間の 意思疎通を十分に図っておくことが必要である。

痛みを伴う末期状態の患者における医療の在り方など

痛みを伴う末期状態の患者における医療の在り方

痛みを伴う末期状態の患者に対する単なる延命医療については、国民、医師、介護職員の70~80%が、単なる延命医療の中止について肯定的である。

また、その延命医療の中止の方法については、単なる延命医療を中止することに肯定的な者のうち国民、医師、看護職員の10%程度は「積極的な治療は行わないことによって、自然に死期を迎えさせるような方法」を選択しているが、国民、医師、看護職員の70~90%は、「生命が短縮される可能性があっても、痛みなどの症状を和らげることに重点を置く方法」を選択している。

このように、国民、医師、看護職員の大多数は、単なる延命医療を中止することが良いと考えており、延命医療の中止後においては、国民全体の47%、医師や看護職員全体の68%は苦痛などの清浄の緩和に重点を置いた治療、また、国民、医師、看護職員の9%は自然に死期を迎えることが良いと考えている。

一方、患者に対して単なる延命医療を中止することに肯定的な者の内、国民の1%、医師、看護職員の1%程度が「痛みにあえぐ患者を安楽にするために、積極的な方法で患者の生命を短縮させるような方法」を選択している。

このように、国民全体の9%、医師や看護職員全体の1%しか安楽死を容認しておらず、我が国においては、安楽死については一般には容認されていないと考えるのが妥当である。

痛みを伴う末期状態においては、単なる延命治療はやめ、患者の状況や希望に配慮し、患者の苦痛の緩和や自然な死を迎えられるようにし、患者の残された人生が個々人にふさわしい人生になるよう支援していく医療が展開させていくことが望まれる。

また、余命6ヶ月間程度の末期状態の期間においては、患者に苦痛をはじめとする不快な身体的症状や精神的症状などが現れるだけでなく、家族にとっても精神的な負担等を抱える時期となるため、患者への適切な治療の他、併せてて家族に対しても適切な対応と患者の死後、家族が患者を失ったことによる様々な心理状態を考慮しつつ、家族と適切な意思疎通を図っていくことが求められる。

療養生活の在り方

医療提供など療養環境の整備

国民が自分自身の問題として痛みを伴う末期状態となった場合どこで療養生活を送りたいかの質問に対する回答としては「自宅で療養して必要があれば緩和ケア病棟や今まで通った病院に入院したい」(49%)「緩和ケア病棟や今まで通った病院へ入院したい」(33%)「在宅で最後まで療養したい」(9%)「特別養護老人ホ−ムに入所したい」(1%)となっている。

又家族が末期状態になった場合の療養生活についても自分自身の場合と概ね同じ回答

であった。

このように、痛みを伴う末期状態に対する療養環境の整備については、入院医療に依存した医療供給体制の整備、特に、緩和ケア病棟の整備が求められている。

一方、国民の多くは病気に罹患しても出来る限り住み慣れた地域・家庭において家族とともに生活できることを希望していることから、このような希望を実現出来る者として在宅医療が重要となる。

しかしながら、自宅における在宅医療の実現性について質問したところ、国民は「実現困難である」(49%)と回答する一方、医師、看護職員は「実現可能である」(44%)と回答しており、「実現困難である」(36%)を上回っていた。自宅での療養が困難であると言う理由としては、国民においては、「経済的負担が大きい」(43%)と言う回答が最も多く、「訪問看護体制が整っていない」(37%)という回答が続いた。国民の高齢者層や看護職員では「介護してくれる家族がいない」(38%、61%)という回答が最も多かった。また、訪問看護ステ−ションの看護婦については、「往診してくれる医師がいない」(52%)と言う回答が最も多かった。

在宅医療を定着させるため、家庭における経済的不安を解消することが重要である。当面、訪問看護体制の充実、在宅医療に従事す医師の確保、訪問介護事業の充実が求められる。

今後の療養生活の在り方としては、患者の生活の質(Quality of life QOL)の観点から、 患者が自宅で療養して、必要になれば緩和ケア病棟等に入院できる体制の量と質の整備を推進していくことが求められており、また、緩和ケア病棟については、在宅支援施設としての機能を担うことも必要となる。

治る見込のない持続的植物状態の患者における医療の在り方

治る見込のない持続的植物状態の患者における単なる延命医療については、国民、医師、 看護職員の70~80%近くが、単なる延命医療の中止について肯定的である。

またその延命医療の中止方法については、単なる延命医療の中止について肯定的な者のうち、国民、医師、看護職員において「人工呼吸等生命維持のために特別に用いられる治療については中止してよいが、それ以外の治療は続ける」と言う回答が53~82%であった。次に「一切の治療は中止ても良い」という回答が8~26%であった、

このように、国民、医師、看護職の大多数は、単なる延命治療は中止することがよいと考えており延命治療の中止後においては、国民の40%、医師、看護職員の60%が生命維持のために特別用いられる治療(生命維持処置)は中止してよいがそれ以外の医療は続けるとしている。

その延命医療の中止時期については、国民では「生命の助かる見込がなく、死期が迫っていると診断されたとき」(37%)「意識不明から回復しないと診断されたとき」(36%)の順に多かった。一方、医師、看護職員については「生命の助かる見込がなく、死期が迫っていると診断されたとき (45%49%)「生命の助かる見込がないと診断されたとき」(24%24%)の順に多かった。即ち、患者の延命医療の中止時期については、死の蓋然性が高く、その状況が非可逆的であることをもって判断することが適切であると考えている者が比較的多いと言うことを示している。

延命医療中止後に行う生命維持処置以外の医療については、施設に所属する医師の過半数からの回答を得たものは、「点滴」「床ずれの手当て」「全身清拭」「留置カテ−テル」「眼乾燥防止」であった。また、延命医療中止後の医療については、「末期医療に臨む医師の在り方についてのの報告」(日本医師会)において、「栄養の補給、感染防止、辱層の予防・治療など生命を維持する必要にして最小限の基本的療法」とされ、一方「死と医療特別委員会報告」(日本学術会議)においては、「苦痛の緩和につとめ除痰、排尿排便への配慮、身体衛生の保持といった基本看護の義務がある」とされている。これらによれば、過半数の回答を得た行為は延命医療中止後の基本的医療と考えられる。

なお、径管栄養や高カロリ−輸液を続ける必要としたものは、どの施設においても 50%を下回っている。

患者本人と家族、患者本人と医師・看護職員との意識の差

痛みを伴う末期状態における単なる延命医療については、国民、医師、看護職員において、「単なる延命医療であっても続けるべきである」との回答率が自分自身の時(16%9%7%)と比べると、家族または受け持ち患者が痛みを伴う末期状態になった場合が高かった。(24%13%9%)

延命医療の中止の方法については、国民、医師、看護職員において、「生命が短縮する可能性があっても痛み等を和らげることに重点を置く」との回答率が、自分自身の時(69%88%85%)と比べると、家族または受け持ち患者に同数ないしやや高かった。(74%88%87%)

一方、持続的植物状態における延命医療については、国民、医師、看護職員において、「単なる延命医療であっても続けられるべきである」の回答率が自分自身の時(9%7%4%)と比べると、家族または受け持ち患者が持続的植物状態となった場合が高かった。(19%13%9%)

延命医療の中止方法については、国民、医師、看護職員において、人工呼吸器など生命維持に特別に用いられる治療は中止するが、それ以外の治療は続ける」との回答率が自分自身のとき(53%64%68%)と比べると、家族または受け持ち患者の場合に高かった(63%77%82%)

以上の調査結果を見ると、国民、医師、看護職員において自分に対する判断基準と他人に対する判断基準とが異なっている状態を示し、自分より他人が一日でも生き長らえてもらいたい、また、苦しみは和らげてあげたいと臨んでいる一定の傾向が窺える。

このようなことを考慮すれば、事前に患者本人の意思が確認できず、家族や後見人が、患者本人の意思の代わりとして、治療方針などを決定する場合には、意思は家族や後見人の意思の取り扱いについて、十分吟味し対応する必要がある。

リビング・ウィル(文書による生前の意志表示)

リビング・ウィル(文書による生前の意志表示)については、国民において「賛成する」は半数に至らなかった(48%)。一方、意思、看護職員においては、「賛成する」が大半を占めた(70%68%)。

「賛成する」とした者のうち、国民については「法律を制定すべき」は、半数に至たらっなかった(49%)。また、医師、看護職員については、「法律で制定すべき」の回答がは半数を占めた(55%52)。また、緩和ケア病棟の医師については「法律を制定すべき」という回答は他の医療機関に比べて少なく(22%)、「医師が希望を尊重して治療方針を決定すればよい」と言う回答は逆に多かった(73%)。また、看護職員については、「法律を制定すべき」と「医師が希望を尊重して治療方針を決定すればよい」という回答はほぼ同率であった(46%)。

○このように、国民においては「法律を制定すべき」とする者は全体の23%であり、医師においては全体の38%でありまた、緩和ケア病棟に従事する医師においては、全体の58%が「医師が希望を尊重して治療方針を決定すればよい」としている。この点を考慮すれば、現時点でのリビング・ウィル(文書による生前の意思表明)そのものの法制化は馴染まず、むしろ患者と医師との信頼関係を構築し、医師が患者の意思を尊重して治療方針の決定に当たることが望ましいものと考える。

しかしながら、医師が患者の書面の内容を尊重することについては、医師において「尊重する」または「尊重せざるを得ない」の回答が78%であるものの、国民においては「その時の状況による」(42%)が最多で「そう思う」または「そうせざるを得ないと思う」(33%)という回答を上回った。

これは、医師は患者の意思を尊重しようとするものの、必ずしも医師側のそのような 意思が患者に伝わっていない状況であることを示していることから、患者と医師の関係において、痛みを伴う末期状態または持続的な植物状態になる以前から、日頃から意志の疎通を十分に図っておくことが必要であることがわかる。

国民、医師、看護職員においては、事前に患者本人の意思が確認できなかった場合、家族や後見人が、それを患者本人の意思の代わりとして治療方針などを決定するという考えについては過半数が肯定的であった(57%61%51%)。

なお現実として、家族は患者本人と医療従事者とを繋ぐ重要な役割を担っているといえ、家族などの意見の取り扱いについては、患者本人の意思の代行とは必ずしも認められず患者本人の意思の推定に当たるのではないかと考えられ慎重な判断が必要となる。

医療現場における医療従事者の取り組み

末期医療の治療方針について医師や看護職員等の間に意見の相違が起こった経験の有無については、医師では40%、特に緩和ケア施設の医師では89%近くが経験を持ち、一方、看護職員では60%、緩和ケア施設では85%が経験を持っている。

その場合の意見調整の方法としては、多くは「患者本人または家族との意見」に基づき調整を行っている。

また、医師や看護職員の悩みや疑問についてみれば、緩和ケア病棟において「医療チ−ムで意見が分かれること」という回答(34%26%)が他の医療施設に比べて多かった。また、緩和ケア病棟以外の他の施設において、「患者へ病名、病状の説明をすること」を悩みとする回答が多かった(70%前後、57%前後)。

このように、緩和ケア病棟では、医療従事者間または患者と医療従事者での意思疎通の取り組みが他の施設に比べて日常的かつ積極的になされている結果の現われではないかと考えられる。

従って、末期医療の治療方針の選択に当たっては「患者自身がどうありたいか、どうあるべきか」という価値観も入ってくるため、患者本人の意見に基づいて、医療従事者間で十分な意思疎通が図られるよう意見交換が重要となる。

一方、医療現場における医師や看護職員の取り組み状態をみると、その90%程度は悩みや疑問を感じている。その悩みや疑問として医師について、どの施設においても回答が過半数以上であったものは「在宅医療体制が十分でないこと」(約55%)、病院では「患者へ病名や病状を説明すること」(72%)、緩和施設では「痛みをはじめとした症状を緩和すること」(54%)である。看護職員において、どの施設においても回答が過半数以上であったものは「痛みをはじめとした症状を緩和すること」(約70%)、「患者へ病名や病状を説明すること」(葯55%)であった。適切な末期医療を患者・家族に提供していくためにも、職場の職員や管理者自身が、これら医療現場における悩みや疑問を一つ一つ解決していくことが求められる。

 

X 適切な末期医療の確保に必要な取り組み

末期医療の内容で今後重点的に取り組むことに関しては、医師、看護職員ともに「痛みなどの症状の緩和方法の徹底と普及(87%86%)、「医療・ケアの方針に関する患者と家族との十分な話し合い」(82%84%)の回答率がたかかった。

また、末期医療の普及に関して充実すべきことについては、どの施設においても過半数の回答があったものとしては「末期医療に従事する医療従事者の確保」、「在宅医療の推進」、「緩和ケア病棟の増設」の他、医師においては、「卒前・卒後の教育や生涯研修の推進」、看護職員においては「患者への相談体制の充実」であった。とりわけ、世界保健機関方式癌疼痛治療法については、医師においては比較的よく知られているが、診療所では他の医療機関に比べて知らない者の割合が高かった。

適切な末期医療を確保するには、以上の点に対応することが必要であり、以上の点に対応することは、医療現場各施設に共通している大方の悩みや疑問の解消につながるものと考える。

このため、以上の点に対応するための方策として、関係者において次の主な取り組みが求められる。

人材の養成

末期医療における人材養成面においては、特に、疼痛などの緩和方法に係わる医療技術、知識、患者に対する相談の仕方を含め、患者・家族との意思疎通のは図り方、医療従事者間における適切な意見の交換とその調整方法などチ−ム医療の運営手法、在宅末期医療に係わる医療技術や知識・習得が重要となる。

またこれらを可能にするためには、これらを適切に修得する教育体制の整備が必要であり、これらの事項を卒前・卒後の教育内容に組み入れ、大学病院、臨床研究指定病院や看護婦学校養成所で緩和ケア病棟や在宅医療の実施医療機関と連携をとり、その教育内容の充実を図ることが重要である。併せて、生涯教育の充実を図ることが重要である。このように、末期医療に係わる医療従事者の養成の他、ボランティアの育成にも取り組む必要がある。ボランティアの育成に当たっては国民の生涯教育の一環としてとらえる視点も必要でる。

現状では末期医療についてはその知識・技術体系が、必ずしも十分図られておらず、 より適切な末期医療を展開するためにも、いわゆる「末期医療学」の確立を期待したい。

療養環境の整備

今後の療養生活の在り方としては、患者のQOLの観点から、患者が自宅で療養して、必要になれば緩和ケア病棟に入院出来る体制の整備を推進していくことが求められている。具体的には、病状が安定している場合は患者はかかりつけ医にかかり自宅で療養し、疾病の治療や緊急の対応が必要な場合は病院に入院し、苦痛などの緩和を主とした入院医療が必要な場合には緩和ケア病棟に入院するといった、これら医療機関との連携体制の整備の推進が必要である。

また、個々の患者にふさわしいサ−ビスが出来るよう、これらのサ−ビスの調整・連絡を担える医療従事者の存在が大切となる。

更に、入院医療の充実・強化のためには、とりわけ緩和ケア病棟の整備が急務となる。

一方、在宅末期医療の充実・強化のためには、疼痛など症状の緩和、緊急時の対応及び生活面を重視した在宅医療が大切であり、患者に身近なかかりつけ医等と訪問看護ステ−ションとの連携、かかりつけ医を支援する病院が必要となる。併せて訪問看護ステ−ションの充実が求められる。

しかしながら、診療所の医師、看護職員については、他の医療機関に比べ末期医療に対する関心や過去の経験が少ないため、今後在宅末期医療を定着させるためには、患者の身近な存在である診療所自身が、在宅末期医療の関心をもち疼痛等の緩和方法等を修得するなど、より一層積極的に取り組んでいくことが求められる。

このような療養生活が可能となるよう、診療報酬上の評価をはじめとした必要な措置を講じること必要である。

 

Y おわりに

今後の末期医療の在り方について、アンケ−ト調査を通じ、国民及び医療従事者の声の把握に努め、提言をおこなった。

末期医療においては、単なる延命医療は止め、患者の状況や希望を踏まえ、患者の残された人生が個々に相応しい人生となるように支援していく医療を国民のみならず医療従事者の大多数が望んでいることが確認された。

そのため、国民各自は残された人生をどのようによりよく送るのかという自分自身の問題として、末期医療について考えるとともに、痛みを伴う末期状態又は植物状態になる前から家族やかかりつけ医などと予め話し合っておくことが望まれる。

 

今回の調査結果や提言がそのための一助になれば幸いである。

又、本報告書に盛り込まれた提言などが、行政をはじめ医療関係者及び国民各層において、末期医療の在り方についての認識を深め、さらに共通の問題意識を高め、末期医療の充実と向上に資することを期待するものである。

一方、平成5年から平成10年にかけて末期医療における国民の意識は殆ど変化をきたしていないことを踏まえれば、末期医療という問題は生命感や倫理観に基づくものであり、長期的な視点でこの問題をとらえていくことが必要であると考える。

今後とも、末期医療については、長期的な視点も加味しこの問題の動きをとらえ、望ましい末期医療の実現に努められることを併せて期待するものである。

 

 

 

病院で死を迎えることの問題点

「死と、老いと、生と」 日野原重明著作選集=(下)抜粋P30〜41

病人は病院を出たいと思う

石川啄木(1886~1912)は、27歳の若さで明治45年に結核で死亡しました。次に掲げた短歌は、東大病院の青山内科の施療病棟に入院していたときの歌です。

今日もまた胸に痛みあり。

死ぬならば、

ふるさとに行きて死なんと思う。

氷嚢のとけて温めば、

おのずから目がさめ来たり、

からだ痛める。

明治44年の歌として次のものがあります。

そんならば命が欲しくないのかと、

医者に言われて、

だまりし心!

ふくれたる腹を撫でつつ、

病院の寝台にひとり、

悲しみあり。

36歳で胃癌を病み、最期がいよいよ近いと知った永井忠は、療養中の手記「もう一度海へ行きたかった−癌に斃れた父親の日記」の中で

「病院で死ぬことのいやさは、「私」が仕事の一つとして扱われること。私の家族ではこれほど大きいことが.....

....死への恐怖はなくとも、その過程での苦しみは恐ろしい。とくに病院におけるそれは....」

と書いています。

啄木のように、当時治療法の無かった結核患者や、これも治療法の無い癌の末期患者にとっては、病院は情緒のない冷たく淋しい牢獄とさえ患者には感じられたのだろうと推察されます。なぜそうなのでしょうか。

 

人間が病むのは体だけではない

病気というのは、ある臓器が病むことには違いないが、からだとともに心も病み、また一方、心が病めばからだの不調はますますひどくなるのです。

急性の病気の場合や手術を受ける場合は、大抵患者は必ず治るものと考え、医学的処置に全面的に頼りきっています。しかも、その入院期間は短いので、人間はそれに耐えられるのですが、慢性の病気、しかも悪化の一途をたどる病気、さらに癌その他の不治の病の末期にある病人にとっては、残されたわずかな時を、温かさや配慮の少ない、また面会時間が制限されて孤独になる入院生活を送るのに耐えられなくなるのは当然です。

その場合、病人の苦しみ、痛みが強ければ、それを和らげる対症療法は必要ですが、それだけでは病人の心は定かでなく、心が重いのです。病人がまどろみからさめたとき、その周囲になじみの者の顔が見られず、可愛がっていた孫がいず心を慰めるペットの影もみられない、手をかけた盆栽の鉢植えもない、心を和らげる音楽も聞けない、そして面会の時間も限られ、夜は孤独になる。夜間は重症患者の処置をする医療者によって廊下はざわつき、きしむ車輪の音は病人の眠りをさます、そういった病院の中では誰も死にたくないと考えるのは当然である。

 

人はどこで死ぬか

病院や老人ホ−ム、その他で死ぬ人と、自宅で死ぬ人の割合はどうかというと、一般に文化国家では、病院又は施設で死ぬ者のほうが、自宅で死ぬ者より多いということです。

日本では、第二次世界大戦までは病院死より自宅死が多く、その傾向は地方のほうが都会以上に多かったのですが、戦後、病院が増すにつれ、病院死が多くなってきました。

ジョンズ・ホプキンズ大学のM・ラ−ナ−教授によりますと、アメリカでは30年あまり前から、病院又は施設内での死亡人口が急増し、現在では死亡人口の3分の2、もしくはそれ以上が病院又は施設で死亡しているのです。そして病院以外で死亡する者の50%は心臓病による(1985年)といいます。多くは心筋梗塞を起こし、その場で急死したものです。

これに対して日本ではどうでしょうか。平成9年度の統計によりますと、癌による死亡は医療施設が圧倒的に多数(89.9%)ですが、脳血管疾患は医療施設が73.1パ−セント、自宅が19.5パ−セント、心臓疾患は医療施設が66.3パ−セント、自宅が25.5パ−セントとなっています。全死亡をみてみますと病院・診療所・老人ホ−ム・老人保健施設で81.1パ−セント、自宅が16.1パ−セント、あとはその他となっています。

この統計では都会と地方との比較は行っていませんが、都会ほど核家族となり、夫婦共稼ぎであったり、家族に人手が足らないこともあり、大部分が病院、、有床診療所、老人ホ−ム、老人保健施設で死亡することになります。

しかし、最近アメリカでは癌患者にも在宅ケアがすすめられるようになり、日本でもその傾向が少しづつみえています。

 

入院することは病人にとって煩わしいか

入院することが病人にとってプラスになるのは次の場合です。

診断のための入院

成功の期待される手術、また危険な手術でも、そのまま放置すれば死が避けられない 場合

痛みや苦しみがひどく、または患者の精神がひどく錯乱していて、自宅ではコントロ−ルできない場合

すなわち、病気の性質による入院の場合と、診断や処置のために入院が必要とされる場合です。

しかし、その患者の病気が治療の望めない癌の末期であるとか、その他の難病で、根本的な治療法がなく、しかも末期症状を示している場合、高齢の患者で入院させたため拘禁症状を呈して錯乱状態になっている場合、また高齢者で老衰状態の場合は、家族に十分看護する手があれば、自宅で人生の最後を過ごしたいと願うのが患者の本心でありましょう。

病人にとっては入院生活はわびしく、また末期になればなるほど自宅に帰りたいと思うのは当然です。

 

臨死患者への対応

では病院がどうあればいいのでしょうか。臨死患者にはどのような対応がなされるべきなのでしょうか。

病人に死を受容させ、死によく対応できるようにするには、次のことが考えられます。それに基づいて適切な手が医療従事者側から提供されるか、または他の人々による配慮が為されなければなりません。何がもっとも適切なのでしょうか。

命を延ばすのか

苦しみや痛みを和らげるのか

心に安らぎを与えるのか

愛する者を呼ぶのか

死に直面させるのか

以上のことに対しては、@生物学的立場、A心理学的立場、B社会学的立場、C行動科学的立場、D宗教的立場、E哲学的立場のいづれかによって、直接、間接に手が打たれなければならないです。すべて医師、看護婦が引き受けるのではなく、牧師、僧侶、ソ−シャルワ−カ−、家族、友人などの世話により、病人の最も強く希望する人がお世話できるように、医師や看護婦が配慮すべきです。

病人の必要とするケアは、すべてが看護婦によってなされる訳ではありません。家族や友人やその他、立派ににケアできる人が病院のスタッフ外にもいます。同僚や友や聖職者も有意義に参加できます。そのタイミングをみて彼らを招くのが主任看護婦の仕事です。

ウイリアム・オスラ−教授(1849~1919)はジョンズ・ホプキンズ病院看護学校の卒業式に、「看護婦と患者」と題して次のような烈しい発言を卒業生に投げかけています。

「病人を見守る優しい母親、愛する妻、献身的な姉や妹、忠実な友人、病人につかえ医師の指示を守りながら、出来るだけ病人の意に沿ってくれる年老いた召し使い−みんな病人の周りから姿を消した。見覚えのあるあの顔はもう見られない。そして、今や、あなたがた看護婦が君臨しているのだ。そのため真の病気のほかに、昔の病人は罹らなかったような、家庭から隔離されたために起こる余病が併発している。あなたがたは....病人にとって大切な人を追っ払ってしまった。いわば侵入者であり、変革者であり、強奪者である。」(1897

 

病院は患者の末期ケアを行っているか

病人がいよいよ末期を迎え、呼吸や心拍が不規則になったり、止まったりすると、若い医師の多い大学病院や教育病院では、心肺蘇生をル−チンに行うところが多いのですが、そこで末期ケアの原則がはたして行われているのでしょうか。

実際には、担当医は末期ケアに対応するための訓練を十分に受けておらず、患者にはいよいよ最期を迎えるまで無駄な処置としての蘇生術が空しく行われ、家族は病人にとって一番大切なときに室外に出されてしまうのです。

この状況をエリザベス・キュ−ブラ−=ロスは次のように記述しています。

「患者は、休息やこころの安らぎや、威厳を求めているのに、患者の受けるものは、注射や輸血や心臓の機器など、そして気管切開までも。患者はただ1人でもよいから、ほんの1分間でも、そばに立ち止まってくれ“私の質問の一つでもよいからきいて欲しい”とこころの中で叫んでいるかも知れないのに....。患者の周りには、大勢の人が立ち替わり、入れ替わり出入りし、....にばかり忙しく気をとられて、立ち振舞い、1人の人間としての患者のことを皆忘れている。」「死ぬ瞬間−死にゆく人々との対話」(on death and dying

近代免疫学を打ち立て、ノ−ベル賞を受賞したオ−ストラリアのM・バ−ネット博士は、次のような文章を書いた紙片をいつもポケットに入れ、もし自分が無意識となるほどの急性発作を起こした際には、75歳を過ぎた自分には余計な蘇生術は辞めてくれという意志を示しました。

「近代医学は、寿命を延ばす技術が発達しすぎたきらいがある。1955年以降の、バイオメディシンの進展によって寿命は延びたが、その大半は余命に感謝せず、これを活用する能力のない人々であったといわざるをえない」

「死期に至った場合に願うことは、できるだけ苦しまずに大往生をとげることだけ。老人の死は誰にも避けることが出来ぬ定めであり、場合によっては、望ましくさえもあるという受け止め方がよい。医師たるものは、二度三度と老人を死地においやってはいけない」

オスラ−は化学療法のなかった1919年に肺膿瘍を病み、膿胸を起こして死にましたが、彼は入院を断り、ずっと自宅で療養したのです。二人の看護婦と婦人に看護してもらい、隣の書斎から詩集を持ってこさせ、モルヒネで咳や痛みを止めさせながら、全く静かにこの世を去ったのです。

多くの病人を病院で治療した医師は、自分は自宅で死にたいと望むものです。大学医学部の教授はよくいいます。自分は大学病院では死にたくないと....。

患者を末期か何かの理由で入院させている場合、病院のスタッフは次のことを自問すべきです。

患者をひとりの人格体として扱っているか

苦しみを和らげているか

不適当な検査や治療を避けているか

家族のケア(死別の悲しみのサポ−ト)をしているか

自分の独走でなくチ−ムワ−クでなされているか

 

 

何が病院に欠けているか

病院を整備するということの中では、患者中心に考える医療、患者を中心にしたチ−ム

医療を具現することへの努力がいちばん必要でしょう。

医師や看護婦に何よりも要求されるのは、人間としての高い感性であり、病人や家族をいとおしむコンパッショネ−トな慈悲深い心です。その上に合理的な治療体制が築かれなければならないと思います。

オスラ−はこういいました。「医学はサイエンスに支えられたア−トである」と。そしてフロ−レンス・ナイチンゲ−ルも「看護はア−トであり、人格である」といっています。

この二人の言葉を噛みしめたいと思います

日野原 重明(ひのはら しげあき)

1911年山口県に生まれる。1937年京都帝大医学部卒業。1941年聖路加国際病院の内科医となり、内科医長、院長、厚生省医師研修審議会会長、文部省医学視学委員、看護視学委員、国際内科学会会長、国際検診学会会長などを経て、現在、聖路加国際病院名誉院長・同理事長、聖路加看護大学名誉学長・同理事長、(財)ライフ・プランニング・センター理事長、旭川医科大学ならびに佐賀医科大学参与。笹川記念保健協力財団、聖路加ライフ・サイエンス研究所理事長、全日本音楽療法連盟会長。

著書 「死をどう生きたか」(中公新書)、「延命の医学から生命を与えるケアへ」(医学書院)、「老いを創める」(朝日新聞社)、「現代医学と宗教」(岩波書店)、「看とりの愛」「音楽の癒しのちから」「老いに成熟する」(春秋社)など多数

 

 

 

お年寄りを看取る

 わらじ医者「老いと死のはなし」 早川一光著(平成5年9月10日初版) 抜粋 

医療で老いは防げない     

 在宅医療こそ医療の本分と思い、私が往診に取り組み始めたころ、そのころというのは

伝染病だらけで、結核とか赤痢とか、腸チフス、百日ぜき、ジフテリアなど、幾らでも病

気はありました。食べ物のない時代でしたから、栄養失調という病気もありました。明日

のパンにも困るという状況の中で、栄養さえ取ればかかるはずのない病気に、当たり前の

ようにかかっていたのです。

 希望あふれる未来をもった青年や子供たちを何とか救おうと、医者の使命として、いの

ちをはってやっていたように思います。

 しかし、今考えれば、これらの病気というのは、薬をのめば、注射をすれば、十分な食

事を取ることが出来れば、克服の可能な病気であったなと思います。予防可能な避けるこ

とができる病気でした。

 それだけに治すことができないというたいへん悲しい、辛い思いもたくさん経験しまし

た。

 漸くそれらの病を克服できたなあ、と思ったころ、次は成人病と闘わなければ成らない

時期が二十年ほどありました。

 必死でいのちを救ってきたその人達が、40代から60代の一家の柱として西陣を支え

る時代になったころ、糖尿病だとか動脈硬化、高血圧、胃潰瘍、がん、脳卒中といった病

気が中心となってきたのです。

 それらの病気はそとから来るのではなくて、ほとんど”暮らし”の積みかさねの中から

でてくる病気です。

 予防し治すためには”暮らし”を変えなければなりませんでした。

 私は、より暮らしのなかに足を踏み入れ、病と同時に暮らしを診察し、治療することに

奔走しました。

 そして、ふと治療現場を振り返ると、お年寄よりばかりを診るようになっていました。

 生活が豊かになって、平和で何不自由なく、幸せな生活ができるようになた日本、同時

に長寿になりました。西陣の人達も老い、そして”老い”を長く生きるようになったので

す。 

 過酷な環境下で生きてきた体は、満身創痍−各臓器はぼろぼろで、もう全身が病だらけ

です。

 もう走るに走れない。歩くに歩けない。立てない。寝るだけ。寝たきり状態で床擦れが

できる。細菌に対する抵抗力がない。噛めない、食べれない・・・。

 逃げ場のない”老い”というものを見せつけられました。

老衰は医療によってとめることがはできない。何ら打つ手がない。防げないものだという

ことをつくづく感じたものです。

痴呆の人とのふれあい 

 私が往診を始めたころに診察した、当時幼な子を抱えていたお母さんがおばあちゃんに

なり、働き盛りだった一家の主人も八十過ぎのおじいさんになっていました。

往診を続けて三〇年もたつと、いつの間にか自然に、老いというものを診、老いというも

のを考えざるをえなくなっていました。

 そして、それまでは余り問題にならなかった老人の痴呆症が、身近かな問題になったの

です。 

 それまでは、老いと死の間が短かった。”老い”の期間が終わってス−ッと「死」に入

っていった。ところが長生きをするようになって、「老い」の問題が長くなることによっ

て「痴呆」は大きく、そして切実な問題と成ったのでした。

 老いてス−ッと死を迎える人はいい。

 元気で頭は冴えておられて、”二三日寝込んでいると思ったら、あっと言う間に死には

ったわ”というんであれば問題はありません。痴呆が始まって死までが大変長い。そして

夜中に起きてわめくし、大便をまき散らすし、お風呂に入らないし何処かにいってしまう

し・・・。

 家のなかは目茶苦茶です。家族は苦しんで苦しんで、共倒れに成ってしまう。そのお年

寄りと、その家族を、どうすれば助けられるだろうか。いっかいの医者にとっては大き過

ぎるテ−マでした。

 昔から痴呆はありました。昔の人は上手に看てきました。

 夜中歩き回っても、”うろついたらあかん”とは言いません。”そんな、どこでも行き

なはれ”といってほっておく。

 車が通るわけじゃやりませんから、危なくもない。馬車が通るくらいです。村中が親戚

みたいなもんですから、”おじいちゃん、どこへいくのや”と言って見守ってくれました

。「おじいちゃん、一緒にいこう」といって、田んぼに連れていく。おじいちゃんは田ん

ぼの畦で一日のんびり腰をおろして過ごす。自分が30年も40年も耕してきた田んぼの

中に居れば、そりゃおじいちゃんの心は安らぎます。

 今、私は、つくづくと、人生の最期のときを過ごして頂くにふさわしい介護の仕方はな

いものか−と思っています。

 介護なさるご家族の方のつらいご苦労もわかりますが、しかし、歩き回らないように、

鍵をかけ、部屋に閉じ込めるだけでは何も改善はされません。もっと自然にもっと安らか

に過ごせるような介護とそれが許される施設が必要です。

 しっかりした医療体制は整える。その上で日のいっぱい当たる草原で、いくら歩き回っ

ていい、おしっこもそのへんで遠慮なく出来る、畑仕事がしたければ一日中畑に立ち、

夜はぐっすりと寝る−身も心もときはなされて生活できる、そんな施設、そんなところで

、お年寄りに暮らしてほしい、と思います。

 お年寄りをもっと大事にし、そしてお年寄りからもっと教えて頂きながら一緒に暮らせ

る暮らし方を考えていきたいと思います。

二十一世紀は介護の時代

 老いを見つめていると、その先に、いくら避けようとしても避けることができない”死

が姿を見せます。

 医者として多くの死を見つめてきました。死というものの悲しくて厳粛な姿を見てきま

した。自分の無力さ、そして医療の限界というものも味わいました。

 そして10年前から、私はひとりの医者として、「死」までをどう生きさせるか、とい

うこと、言葉を換えれば、「どうすれば死を迎えられるか、よき死のための手助けをどう

したらできるか」−そのことに目を向けざるをえなくなりました。

 私が講演で、「死」をテ−マにしてかかげたのは、6年ほど前からです。当時は主催者

から「死のテ−マでは、聞きにくる人はいない」と言われたものです。しかし、「どう死

を迎えたらいいのか」ということに関心が寄せられる時代が必ず来る−それは往診によっ

て得られた確信でした。

 いま「よい死に方を教えます」というテ−マで講演しますと会場には驚くほど大勢の人

が集まってこられ熱心に耳を傾けられます。

 いまは死のありようが問われているのです。

 死にざまは生きざま−と言いますが、それは言葉で言うほど簡単なことではありません

。ある時から、お年寄りの病を治そうと言うふうには思わなくなりました。誤解されては

困ります。治療を放棄したわけでは有りません。

 お年寄りは、みんな病を抱えています。どこも悪くない、というお年寄りは滅多におり

ません。体のどこかが、一つやふたつは病んでいる。具合が悪い、60年も70年も使っ

てきたんですから、「故障」してあたりまえでしょう。

 様々な病気を持ちながら、病気と病気が重なって、組み合わさっていのちを保っている

。むしろそれでバランスを保っているとも言える。それがお年寄りです。”悪いところを

取ればいいんだ””治せばいいんだ”という考え方だけでは、お年寄りには通用しない。

第一すべての病気を治しきることは不可能です。

 治らなくてもいい、病を持ちながら、余病をおこさせずに、その病とともに生きる。苦

痛もなく不安もなく生きる、それが大事なのです。

 たとえガンを抱えていても、寿命いっぱい生きて生きて生き抜いて、”生きていてよか

った”と思いながら、いのちを全うすることが大事なのです。

 では、「老いを防ぐことができない。そしてお年寄りの病を治すことばかりにとらわれ

るのは間違いだ」と知った時、医者はどうすればいいのか。病気を治すことを使命とする

医者にとって、それは敗北宣言のようなものです。しかし、逃げるわけにはまいりません

。いまお年寄りにとって本当に必要なものは何か−。お年寄りに必要な医療は何か−。

 それは「看取り」であることに気づきました。

 病気を持ちながら、生き甲斐のある暮らしができるように、温かい眼差しとぬくもりの

ある手をさしのべること、そしてその暮らし全体を支えること、それが医療の仕事である

と知ったのです。

 お年寄りにどう生き甲斐をもってもらえるか−それが私の”医療”となりました。精い

っぱい生きて、そして、「生きていてよかった、ありがとう」と言って死んでいくことが

出来る「死に方」のための手助け−それが看取りです。

 そうすると、病院の役割も違ったものになってくる。たんに病を治療するところではな

く、ホストするところ、接待する場所となってきます。訪れてホッとする、心安らぐいこ

いの場。これがこれからのホスピタル、病院の姿ではないかと思います。

 ですから、病院は、たくさんのお年寄りが何の用事もなくお出でになって、心から楽し

んで、生き甲斐を感じる、そういう場所でなければならないと思います。

 お年寄りの体と心を診るとき、肉体を治す医者と温かい手で看護する看護婦は欠かせな

い存在ですが、それだけでは、お年寄りを本当に看取ることはできません。

 これから本当に求められるものは「介護」なのです。

 診察の診は見て病を調べるということ。看護の看は手と目で患者さんを見守る。このふ

たつに加えて介護が必要なのです。

 介護の介という字は、人を下から支えているんです。人間の暮らしそのものを支える、

生き方を支えるのが介護です。食事をさせる、入浴させる・・・あらゆる暮らしを援助し

、支える仕事となるわけです。

 そういう意味で、私は二十一世紀は、「介護の時代」であると考えます。

 今まで、医療の外側で、サブ的な存在としてしか見られなかった介護の役割は、これか

らの医療にとって重要な存在となると確信します。

 長い人生の航海をしてこられた人の生活をどう支え、生き甲斐をもってもらえるか−

護の在り方によって、「生」と「死」のありようが決まる、という時代が、もうやって来

ました。

 すで、介護という尊い仕事にたずさわっている方たちがたくさんおられます。たいへん

なお仕事です。決して楽ではありません。そのお仕事に、青春をかけて取り組まれている

若い方たちがいるのです。もちろん若い方たちだけでは有りません。

 介護を志し。介護を学んでいる人に講演を−と頼まれることがあります。しかし、私に

は、すでに介護という仕事をなさっている方や、介護を志している方に大してアドバイス

をすることなど出来ません。私にお話する資格はないと思えるのです。

 だから、私は、会場で、皆さんに「ありがとう」と頭も下げるだけです。

 だって私は、医者という立場で治療は精いっぱいしてきましたが、患者さんに食事をさ

せたこともない。風呂に入れたこともない。そうした、つらいけど、本当に大事な役割、

縁の下の仕事は、その会場にいる方達がしてくださっているのですから。

 介護というお仕事が、どんなにたいへんなものか、いやどんなに大切なものか−、その

仕事をされ、またその仕事に入ろうとされている方に、私はただ頭を下げてお礼を言

うしかないのです。

 介護ということが、学問的にも確立されて、多くの、立派な介護者を育てるための「総

合大学」というものが出来てほしい、これが私の願です。

 基礎と臨床を学び、生活の保障が得られ、社会的に認められた立場で、生き甲斐のある

仕事として「介護」が出来る時代がきてほしい、多くの人が誇りを持って介護にたずさわ

れる、そういう時代が来なければならないと思います。

早川 一光(はやかわ かずてる)

 1914年 愛知県生まれ 京都府立医科大学出身 京都西陣に白峰診療所を創設 後

 に堀川病院に発展、院長、理事長を歴任 現在、総合人間研究所所長 医の心を求め実

 践する会会長

 

 

 

痴呆症の人々との超コミュニケーション法

「バリデーション」 Naomi Feil 

監訳 藤沢喜勝 訳 篠崎人理、高橋誠一  (筒井書房 定価 2,500円)

 

第3章 (P73~95) 抜粋

「認知障害」(第1ステージ)にいる人々に対するバリデーション

 この章であなたが出会う人々、そしてこの本に登場するすべての人々は、1955年から私がともに関わってきた実際の人々がモデルになっています。この章に出てくる人はすべて、解決の第1ステージ「認知障害」の人々です。

 それぞれの例は、バリデーションを適切に用いることによって、ケアギバー(介護者)のコミュニケーションを手助けし、ストレスを避ける方法を述べています。

 

1 フランシスのケース

 フランシス・ブレイクはアルツハイマー型痴呆と診断されました。彼女は人の悪口をよく言います。私が彼女と出会ったのは、彼女が82歳のときでした。その頃のフランシスは、自分が何処にいるか大体わかっていました。彼女は黒いエナメルの財布を小脇に抱えていました。フランシスの財布は紙ナプキンでいっぱいでした。白内障の手術をし、大腿骨を骨折した頃から、フランシスは人の名前を忘れるようになりました。収集癖が始まったのもその頃からでした。でも収集癖によって、どうにか自分を保っていたのです。フランシスの財布は彼女にとってかけがいのないものになり、いつもいっしょに持ち歩いていました。

 フランシスは高齢者集合住宅にある私のオフィスに、周に一度はやって来て、勢いよく腰を下ろしては、小言を言い始めました。彼女はいつも同じ人を非難します。

 「エルシー。ベーカーがまたやったのよ!」と、彼女は怒ったように叫びました。「昨日の晩彼女ったら、私のレースのついたシルクのパンティを盗んだのよ。本物のシルクよ。それから、あのあばずれ女ったら、サム・ペルツの部屋へ行ったの。ほら、ホールの向こうの部屋にいるちょっと素敵なあごひげの若い人。彼はまだ78歳なのよ!」。フランシスは私に体を寄せて、秘密の話をするときのように口元に手に持っていき、「一晩中男の部屋にいたのよ・・・・」と自身ありげに耳打ちしました。そして気をひくために少し間をおいて、「私のパンティと一緒に」と付け加えたのです。

 私は彼女の話を考えて見ました。彼女の言葉には本当のことは一つもありませんでした。私は、彼女の名前が縫い付けてある本当のシルクパンティを彼女に見せました。それは彼女の引き出しの一番下に入っていて、紙ナプキンの下に隠れていたのです。誰も彼女の下着を盗んでいないことをフランシスに納得させようとすればするほど、彼女は怒り出すのです。「リアリティオリエンテーション」は彼女には逆効果でした。彼女の声は荒らあらしくなってきました。「私をうそつきだって言うの。自分の物ぐらいわかるわ。これは私のじゃない。誰か忍び込んでパンティを引き出しに入れたんだわ!」面と向かって私にそう言ったのです。根気強く彼女に自分自身のしたことを考えてもらい、自分自身の感情を理解するように助け、何故彼女がエルシーを非難するのかを理解するように努力しました。

 「ブレイクさん、なぜエルシー。ベーカーがあなたのパンティを盗んだと思うの」と私が言いました。「あの女は悪女よ。彼女にぴったりの言葉があるわ。スペルはW.H.O.R.E(売春婦)。私はレディだからこんな言葉は口にするのも恥ずかしいけど。私は建物に入ってくる誰とでも寝るようなことはしないわ!」。わたしはこう尋ねました。「あなたは家に男の人がいなくなって寂しいの?」、「あなたはご主人を亡くしたとき、盗られたような気がしたの?」

 「私は主人が亡くなったからといって、ほかの女性の下着を盗んでまわるようなことはしないわ」。彼女は怒ったように言い返しました。「エルじーがどんな女か、サム・ベルツに教えてやるつもりよ!」

 フランシス・ブレイクはどうして自分がエルジー・ベーカーを非難するのか、理解しようとはしませんでした。これまで受け入れ難い感情に目をそらして人生を送ってきて、もう彼女が変わるには遅すぎたのです。非難をすることで切り抜けるのが、彼女のやり方になったのです。

 夫がなくなった後、フランシスにとって人生はとても辛いものとなりました。彼女は自分が生き続けるために、他人を非難したのです。フランシスの悪口は、娘が彼女に会いに来たがらなくなるほど耐え難いものとなりました。「私はお母さんの面倒はこれ以上見切れないわ」と娘は私に言いました。「母は父が死んだ時、お医者さんを非難し、自分が病気になった時は病院を非難したわ。もうお母さんの記憶はほとんど消えかかっているの。母がレンジを消すのを忘れて、食べ物を焦がしてしまった時、母は私を非難したのよ。母は年をとるにしたがってどんどんひどくなっていく。」

 グランシス・ブレイクは自分自身を信じることができませんでした。彼女は人生の大切な課題をそのままにしてしまいました。それは、彼女が失ったものを乗り越えて、生きていく自身を持つために必要な課題だったのです。不安が深くなればなるほど、彼女は他人の悪口を言いました。記憶を失うのがこわくて彼女は娘を非難しました。夫がなくなった後の孤独から逃れるため、エルジーを非難しました。そして、彼女は独りぼっちになってしまいました。最初、彼女の友達は我慢していました。彼らはフランシスがエルジーのことをわめき散らし出すと、散歩に連れ出して彼女の行動を変えようとしました。「行動療法」は、結局効果なく、フランシスは悪くなる一方でした。

 フランシス・ブレイクは聞いて欲しかったのです。彼女には話を聞いてくれる人が必要でした。彼女は年をとって、「解決のステージ」に到達しました。フランシスはこれまで決して表現できなかった感情の重荷に耐えられず、エルジーを使って自分の重荷を降ろしました。結局、彼女は人生のほころびを繕おうとして一生懸命闘っていたのでした。しかし、私たちは彼女を無視しました。そして、私たちがフランシスを無視すればするほど、彼女は訴えるように甲高い声を出してないたのでした。精神科医が処方した鎮静剤に頼っているうちに、フランシスは萎えるように衰えていき、ナーシングホームに移され、一日中車椅子で過ごすしかない生きた死人となったのです。

 

 フランシス・ブレイクにバリデーションを用いる

 私はフランシス・ブレイクの失敗からいろいろなことを学びました。否定したり、見下すような態度をとったり、説得したり、あるいは論理をもちいたり、推測しようとしてはいけないことを学びました。私がバリデーションを知っていたならば、私は彼女がナーシングホームに移ることを止められたに違いありません。彼女が私に盗まれたパンティのことを言ったとき、「あなたのとっても素敵なパンティ。彼女はいつそれを盗んだの、ブレイクさん?」と尋ねて彼女の言葉を繰り返すべきでした。私の心配する気持ちを感じとってフランシスは私を信用し始めた筈です。

 「誰からのプレゼントなの?」。彼女に思い出を語るのを促すために、私はそう尋ねるべきでした。フランシスは自分の本当の悲しみ、つまり夫を失ったこと一人で暮すことの孤独を表現したに違いありません。フランシスの深い悲しみと怒りをバリデートすることができれば、私は彼女のストレスを少しは和らげることができたはずです。誰かフランシスの話を聞いて上げる人がいたら、彼女の悪口は減って、友人や近所の人たちに受け入れられたでしょう。

 

2 ジョージのケース

 ジョージ・スミスも非難やさんでした。彼の顔には、小さな褐色の目と見間違えるほど大きな濃いピンクの丸いしみがありましたが、はつらつとして、太った86歳のお年寄りです。彼は天井から落ちてくる雫の音を聞きながら、ふかふかとした椅子に坐って夜を過ごしていました。彼は自分のベッドで眠ることが出来なかったのです。彼のがらがら声は疲れていました。「お前はあの穴を修理は出来ないのか?お前は修理屋じゃないな。俺はびしょ濡れのベッドじゃ眠れんのだ。ひどい匂いがする。」

 息子のジョーンズは天井を調べましたが、水濡れは見つかりませんでした。医師がジョージを検査することになりました。ジョージの失禁の原因は膀胱の筋肉が弱っているからでした。ジェームズは父親が自分の弱くなった体を受け入れられないことがわかっていました。ジョージは排尿がコントロールできなくなった恐怖を和らげるために、天井の水漏れのせいにしたのでした。父親が水漏れの話を持ち出そうとすると、ジェームズは話をそらそうと努めました。

 「お父さん天井に水漏れはなかったよ」とジェームスは言いました。「コーヒーとドーナツでも食べにいかない?二人だけで行くって言うのはどうだい?」。すると、「はぐらかすんじゃない。ジェームス」とジョージは言いました。「お前は俺を信じていないな。俺がやったことだと思っているだろう。確かに雨漏りはお前がしたことじゃないさ。水漏れもお前の家の屋根じゃないからな。だがお前はここで暮らすということがどんなことかちっともわかちゃいないんだ」

 ジョージ・スミスは、息子が話題を変えて、彼の要求を無視しようとしていることを見抜きました。非難するすべてのお年寄りと同じように、ジョージは真実を知っていました。眠りながら無意識に蚊をぴしゃりと叩く人ように、何故自分が非難しているかを無意識にわかっているのです。心の奥底でジョージは、もう自分が夜、トイレに行くことが出来ないことを知っていました。しかし、その恐ろしい事実を直視できませんでした。加齢とって自分の体の自由がきかないと認めることは、とても恐ろしいことでした。

 ジョージ・スミスは自分の内にある恐怖を決して直視することは出来ませんでした。ジョージはずっと自分の心配事を押さえ込んできたのでした。彼は自分が取り乱さないかと不安でいっぱいでしたが、年を取るにつれて悪くなるからだの衰えを止めることは出来ませんでした。事態が悪くなればなるほど彼は息子を非難したのです。

 88歳のときジョージは、被害妄想のある性格異常と精神科医に診断されました。ジョージは精神病院に送られ、そこで2年後に亡くなりました。これまで一度も精神病歴はありませんでした。

 ジョージ・スミスにバリデーションを用いる

 私がジョージ・スミスのことを聞いたのは、彼が亡くなってからでした。もっと早く彼に会っていれば、私は、息子のジェームスが父親をバリデートする手助けを出来たでしょう。バリデーションを用いることによって、ジョージの非難と息子のフラストレーションは落ち着いたに違いありません。ジェームスは父親に事実を問い詰めることを避けることが出来たでしょう。そして父親の感情的な要望にこたえることに集中できたでしょう。二人の付き合い方は全く違ったものになったはずです。

 「ジェームズ、お前は天井の穴の修理が下手くそどころか、パイプに別の穴をあけただろう。この水漏れが何処から来るかわからないがね。まったくお前さんはなんて水道屋なんだ!」

 センタリング(テクニック1)によって、ジェームズは父親の根拠のない非難に対する怒りから解放され、そして父親の言葉を繰り返して(テクニック2)確認したはずです。そして、ジェームスは、父親の失禁が原因だと理解できたはずです。「どこかほかに水漏れがあるというのかい。何処が水漏れしていると思うんだい?お父さん」。「分かっていれば自分で直すさ。お前に頼んだりするもんか」

 彼の父親が失禁に対する恐怖や怒りのすべてを表現できるように、ジェームスは極端な言い回し(テクニック4)を使ってたずねます。「どんなにひどいんだい。どれだけの水がパイプから漏れているんだい」。「そりゃひどいんだ、おあまえ、そしてどんどん悪くなっているんだ。におわないか?この悪臭は下水から来たんだと思うが」

 父親がにおいの言葉を使うのに気付いて、ジェームスは「それは腐ったような臭いかい。腐った水のような、それともカビのようなものかい」。「そうカビにもっと近いような気がする。お母さんが病院で不平を漏らしていたのと同じ臭いだ。覚えているかい。母さんは隣のベッドに寝ているおばあさんへの不平をよく言ったもんさ」。ジェームスの母親が亡くなる前に恐れたと同じように、父親が自分の体が不自由になることを恐れていることをジェームスは理解したでしょう。ジョージは、直接的には言えない、自分の恐怖を言葉にする必要がありました。

 「母さんは何と言ってたんだい?」とジェームスは聞きました。「母さんは1分たりともそのにおいが、我慢できなかった。それで、俺はあのライラックの香水を買ってやったんだ。母さんがとっても好きだったやつだよ」とジョージが言いました。「ライラックの香りのアフターシェービングローションは、ちょっと役立つと思うかい」とジェームズは聞きました。「そうだな、お前が水漏れの原因を見つけるまで使ってみよう。俺は、パイプが腐っていると思うんだ。この家には、新しい配管が必要だな」

 たぶんジョージの失禁は一層ひどくなったので、パイプの水漏れへの文句は止まらなかったのでしょう。しかし、父親が恐怖や怒りを述べる時、バリデーションを行うことによって、彼が自尊心を取り戻すように出来たはずです。そうすれば、ジョージ・スミスは精神病院で亡くならずにすんだでしょう。

 

3 ジェニーのケース

 ジェニー。フィシュが新しいアパートに移った時に、彼女の非難は始まりました。ジェニーは優しく思いやりのある81歳の女性でした。彼女の日課は庭仕事でした。毎朝、ピンクのスリッパを履いて、自分のバラの庭にしとやかに歩いていきました。嵐の後には、傷ついたバラの手入れをしました。彼女の問題は、アパートの所有者が駐車場を拡張するために庭を取り壊すと決めた時から始まりました。

 ジェニーは彼女の庭に別れを告げなければなりませんでした。そして、別の部屋に移りました。そこは6階で鉢植えを置くベランダさえありませんでした。彼女は夜中におかしな物音を聞くようになりました。

「隣の男が家具をガタガタさせるの!」と彼女は憤然と叫ぶように言いました。「その男は夜中にベッドをあちこちに動かし、変な寝息を立てるの。彼は真夜中にはじめて何時間も続けるので、私は、一睡もできないわ」

 ジェニーのアパートは、端の部屋だったので、隣に部屋はありませんでした。彼女には親しい隣人はいませんでした。診察の結果、彼女は健康であることがわかりました。彼女は精神病を患ったこともありません。ビタミンの不足もありませんでした。腫瘍や腎臓に感染症もありませんでした。視力や聴力は年齢にしては良いほうでしたし、最近の記憶力もほぼ正常範囲でした。精神科医は、「想像上の特定の男性に対する幻覚症状がある」と診断しました。そして、それ以外は正常であると診断しました。医者は精神安定剤と合わせて、「リアリティ・オリエンテーション」と「行動療法」が、眠れない夜の不安を和らげるには必要だと言いました。

「リアリティ・オリエンテーション」をするために、姪のリタは、ジェニーにアパートの外は壁であることを見せました。廊下を行ったりきたり歩き、ドアをノックして、リタとジェニーは近くに男性がいないことを確認しました。人と付き合えば、ジェニーの不安が静まると思い、リタはおばにガーデンクラブの集いに出かけることを進めました。しかし、ジェニーは拒否して、「あの男が私を寝かせてくれないから、私は何処へも出かけられないほど疲れているの」と言いました。「行動療法」を行うため、リタはジェニーが長話を始めると、何か口実を見つけては、散歩に連れ出しました。リタが傍にいないとジェニーの非難はもっとひどくなりました。隣の男は、より現実味を帯びてきました。ジェニーは男を昔の友達のようにリアルに語るようになりました。

「彼は背が高いの」とジェシーは言いました。そして、「鼻が長くって、小鼻が大きく張っているの。それで夜中におかしな音がするのよ。私に男が何故そんなことをするのかなんて聞かないで。だけど彼はうめくような息を激しくするので、壁を通しても聞こえるのよ」。一人又一人と友達は彼女のもとを去っていきました。リタは私に懇願しました。「おばを何とか止めてくれませんか?私は精神病院には入れたくないの」。そういって言葉をつまらせました。

 ジェニー・フィシュにバリデーションを用いる

 もし、家族やデイケアセンターのケアギバー(介護者)、そして近所の人や医師によってバリデートされていたなら、ジェニーはこんなにも悪化しなかったと思います。シナリオはまったく異なったものになっていたでしょう。姪のリタは問題がかなり深刻なことに気が付いていましたが、おばをどのように扱ったらいいのか判りませんでした。彼女はバリデーションの訓練を受けた臨床心理療法士のところへ連れて行くべきでした。そうすれば、その出会いはこんな風になったでしょう。

「その男性はどんな様子でしたか。フィシュさん」とジェニーの好きな感覚(テクニック12)である、視覚に注目して臨床心理療法士はたずねます。「彼は黒髪で毛深くて、体全体を毛で覆われているの」とジェニーは囁きます。

臨床心理療法士は共感を持って深くうなづき、言葉を使わずに彼女の恐怖を理解し、受け入れます。「その男は背が高いの?」と臨床心理療法士は、再び視覚に着目してたずねます。「鼻が高くて小鼻が大きく張っているの。コメヂアンのジミー・ヂデュランみたいに」、「彼はどんなものを着ているの」、「先生、彼は時々何も着ていないの」とジェニーは答えます。「何も着ていないんですって?」と臨床心理療法士はジェニーの声に調子やテンポを合わせて尋ねます。「一糸もまとっていないの。彼の厚かましさを想像してみて。一晩中私を見つめているの」とジェニーは続けます。「彼はなにをしているの?」と臨床心理療法士はたずねます。「壁の穴からただ私を覗いているの。私を笑いものにしているの。多分、私がここに住むのが嫌いだってことを、彼は知っているのよ」とジェニーは悲しそうに答えます。「彼はどのくらい前から覗きを続けているの」と臨床心理療法士はたずねます。「少し待って、正確な日が思い出せないわ。だけど、日記に書き留めてあるわ。エーっト10月17日の金曜日」、「それはあなたが引っ越した日じゃないの?」と臨床心理療法士はたずねます。「そう、その通り。駐車場のために私のバラが根こそぎ取られてしまった日だわ」

 臨床心理療法士は、反対のことを想像する(テクニック5)を使って、彼女がバラを取られなかった場合を思い浮かべるようにしました。「フィシュさん、もし、あなたが以前のアパートにまだ住んでいて、そしてまだバラの世話をしていたら、その男性はいなくなってしまうかしら?」

ジェニーはちょっと黙って、「そうね、以前は私をあんなふうに見つめている男はいなかったわ。私だけの場所でとても幸せだったの。私は、人生のほとんどをそこで過ごしたの。私は、小さな子供の頃から、いつもバラと一緒だったのよ」、「どんなバラをあなたは育てていたの」と臨床心理療法士はたずねます。ジェニーは、「それはとても美しいピースと言う種類のバラ。とても珍しいの。とても高かったけれど、いつもバラのために特別の土を買ったの。私のバラは素晴らしかったわ」と答えます。

ジェニーが住み慣れた家を失い、庭を失ったとき感じた恐怖が、その後の恐怖野の引き金に担ったと気付いたことで、臨床心理療法士は積極的な解決の糸口を見つけました。ジェニーには、恐怖を静めるためにバラを育てる必要がありました。彼女は花を通して愛や生きる力を表現していました。

「もしあなたが再びピースローズを育てる小さな場所をあなたと私で見つけられたら、その男性はあなたを一人にして置いてくれると思う?」、「そうね。バラの刺があの男を怖がらせるでしょうね。私のバラはいつも私をまもってくれた。だからこんなことは前には一度も起こらなかったもの」

ジェニーは安心を感じ、再び庭をつくる事を考えて明るくなりました。ジェニーは彼女に小さな庭を探してくれるという臨床心理療法士を信頼し始めました。ジェニーは想像上の男を見なくなりました。ジェニーは毎月一度、彼女をバリデートし続けてくれる臨床心理療法士に自分の不安を話すことが出来るのです。

 

4 ジューンのケース

ジューン・シンプソンは、夫が亡くなってから非難が始まりました。夫が無くなってから3年後、彼女は近所の犬を追い払おうとして、転んで大腿部を骨折しました。彼女は以前からの友達だった犬の買主を非難しました。「あなたがちゃんと犬を見ていれば、私は骨を折らなくて済んだのよ」と彼女は大声でわめきました。「あんたのせいよ!」

またジューンは、歯茎が衰え、歯のブリッジが外れて、噛むことが難しくなりました。ジューンは肉屋を非難しました。「買った肉はとても硬いわ。馬にしか噛めない馬の肉に違いないわ。それを私に売ったのよ。私は新しいブリッジを買わなければならなくなったわ」。肉屋は彼女を無視しました。

近所の人も彼女を避けるようになり、「ジューンは、少々頭がおかしくなってしまった」と口々に言いました。

ジューンは豊かな生活を送っていましたが、神経質でした。悪いことが起こると、彼女は誰かを非難することによって自制心を取り戻し、生活を続けました。ジューンは大きな法律事務所で帳簿係として働いており、そこでの仕事ぶりはとても有能でした。高齢になるまでは、ジューンの生活は平穏であり、あまり困難に直面するようなことはありませんでした。しかし、年をとって直面するようになった多くの問題をこれまでも解決できなっかったのです。ジューンにはいやなことを紛らわす方法が、他にはありませんでした。彼女には愛すべきものがありませんでした。彼女は夫を失い子供もいませんでした。打ち込む仕事も無かったのです。年をとることの苦しみと失うものが多くなるに従って、彼女はもう独りで生きていくことが出来ないと思うようになりました。彼女が困難を乗り越える唯一の方法が、誰かを非難することだったのです。彼女は友達も失い独りで死んでいきました。

 

ジューン・シンプソンにバリデーションを用いる

私はジューンがなくなる前に、近所の人に会うことが出来たらと心から思います。バリデーションを近所の人に教えることによって、友達もなく独りで死んでいくことを避けられたはずです。肉屋とのちょっとしたいざこざも、ジューンにとってバリデーションを経験する良いチャンスとなったはずです。「馬の肉、それをあなたは私に売りつけたのよ。とてもひどい味。誰だってあの肉を飲み込むことは出来ないわ!」。怒ったようにジューンは金きり声をあげました。「そんなにひどい味でしたか」と肉屋は聞きます。「きっとお口に合わなかったんでしょうね。少し高くなりますけど、もう少し良い肉にすればよかったですね。あなたにはもっと上等な肉を買っていただければ良かったですね」と答えます。

ジューンが昔を思い出すように肉屋はジューンの亡くなった夫のことに会話を切り替えます。「以前はいつも、最高の肉を買われていましたものね」、「あなたのご主人のことを思い出しますよ。ご主人は買い物上手でしたね。素晴らしい人でした・・・」、と彼はいいます。「夫はいつも私のために買い物をしてくれたわ」とジューンはずっと穏やかに答えます。「夫は毎週土曜日に、何を買い物したらいいか知っていたわ。とても素敵な人だったわ」。肉屋は付け加えます。「彼はいつも最高のところを選んでいました。いつもヒレ肉だけでしたよ」。「そう、じゃあ私も同じところを頂くわ。それと肉を軟らかくするパウダーを使った方がいいかしら」とジェーンは尋ねます。彼女は怒りをすっかり忘れています。「それはいい」と肉屋は答えます。「今日はどんな味付けにしますか?シンプソンさん」

 

5 「認知障害」にいるお年寄りのバイタルサインを読む方法

この章で、私は4人の「認知障害」(第1ステージ)にいるお年寄りを紹介してきました。みんな、過去に直面してこなかった感情を表現するために、今苦しんでいるのです。バリデートするケアギバー(介護者)は、お年寄りが妄想にとらわれることを防ぎ、お年寄りが感じている、まだ解決の出来ない葛藤に対する苦痛を和らげようとします。現在の失敗は、昔の古い失敗の苦しみを思い出す引き金となります。お年よりは多くの失敗に対応するために、誰かを非難するのです。彼らの行動は、一つ一つちゃんと意味のあることなのです。

「認知障害」の意味

「認知障害」(第1ステージ)にいるお年よりは、たいてい80歳以上で過去に精神病の既往なく、はっきりと話せ、時間や場所に対するの認識はまだ保たれています。しかし、よく最近のことは覚えていないことがあります。彼らは順応しようとしますが、十分には順応できません。

「認知障害」にいるお年よりは、まだ解決されていない人間関係を解決する必要があります。そして、過去に充分表現できなかった感情を、現在の人に対して発散させなければならないので、決して幸せとはいえないでしょう。

 

1.「認知障害」にいるお年よりは、加齢とともに当然起ってくる身体的社会的損失を受け入れることが出来ません。

2.「認知障害」にいるお年よりは、今まで重要な人生の課題を直視してきませんでした。これらの課題には次のようなことが含まれます。「自己を確立すること」、「親密さを獲得すること」、「適切な感情や行動のコントロールを学ぶこと」、「他の人々を信頼することを学ぶこと」、「失うこと、特に加齢とともに失うものを受け入れること(新しい変化や活動を受け入れることも含む)」、「誠実さを達成すること」、現在のこと、過去のこと、そして、将来の死を受け入れること」

3.「認知障害」にいるお年よりは日常生活のほとんどは普通の人と変わりありませんが、過去と現在が混乱していることがあります。

 

「認知障害」にいるお年寄りの身体的特徴

「認知障害」にいるお年よりは、いくつかの身体的特徴をもっています。

・ 目はこもりなくはっきりしている。

・ 筋肉は緊張気味

・ あごは張り出し気味

・ 腕を組んで立ったり坐ったりする。

・ 目的をもったしっかりとした足取りで歩く。

・ 声を荒げたり、非難したり、時に愚痴をこぼしたりする。

・ 話し方は、はっきりしている。

・ 最近の記憶に関してはときどき記憶違いがあるが、ほぼ保たれている。

・ ほぼ読み書きが出来る。

・ 認知能力は、時間を正しくいう能力を含めてほぼ保たれている。

・ ごくたまに尿失禁がある。

「認知障害」にいるお年寄りの精神・心理的特徴

 加齢になると、「認知障害」にいるお年寄りは、人生の最終的な課題に直面します。お年よりは今まで人生の中に埋もれていた感情を表現しなければなりません。お年よりは今まで心の中に押さえ込まれていた恐怖心を最終的に表現しなければなりません。現在の失敗は過去の生々しい記憶を引き起こします。今日の恐怖は遠い昔の似たような恐ろしい記憶を刺激します。少年のころ、パンツを濡らしてとがめられたり、恥ずかしいと感じたり、悪いと感じたお年寄りがいるとします。そのお年寄りが「認知障害」になると、失禁を認めるのがあまりにも恥ずかしいために、床いっぱいにおしっこを漏らしたといって同居人を非難するのです。

「認知障害」にいるお年よりは、若い頃表現すべきだった感情を表現するために、現在の人や物を使います。80歳の女性は夫が40歳で亡くなった時の辛さや悲しみを表現することができませんでした。それで、彼女の同居人が結婚指輪を盗んだと言ったのです。彼女は自分の結婚のシンボルであった結婚指輪を隠しました。それで彼女は誰かが夫を奪ったと責めることができます。そうすることで、彼女は自分の感情を受け入れることなく、悲しみや怒りを表現する方法を見つけたのです。彼女は自分の行動の背後にある理由を知りたいとは思いませんでした。彼女は自分が何故、怖いのかを理解しようとはしませんでした。彼女は自分が否定したいと思っている孤独には直視したいとは思いませんでした。これらの否定された感情は苦痛を引き起こし、彼女は同居人を怒ることでそれに対処したのです。

「認知障害」にいるお年よりはいくつかの精神・心理的特徴をもっています。

・ 長期間の精神病歴はない。

・ 比較的豊かな生活を送ってきた。

・ 終わらせなければならなかった人生の課題を解決することが出来ずに、「・ 人生の解決ステージ」・ を迎えている。

・ 人生をとおして抑えられてきた感情を発散させる必要がある。

・ 好まない現実を直視したいとは思わないし、出来ない。そして、その現実を否定する。

・ 必要以上に親しくなるのを避けるので、触られたりするのはあまり好きではない。

・ 現実の時間と場所に執着する。

・ 身体的コントロールがだんだん失われていくことを恐れる。

・ 身体的機能や精神的機能が徐々に衰えていくことを恐れる。

・ 変化を恐れ、新しい環境にうまく適応することが難しくなる。

・ 慣れ親しんだ行動を変えたいとは思わない。その結果「・ 行動療法」・ には、あまり反応しない。

・ かってよく使っていた対処方法を繰り返す。

・ 自分自身をコントロールしようとし、コントロールできなくなることを否定しようとする。

・ 変化することを望まない。

・ 立ち向かうことを恐れる。

・ いろいろ分析されるのを好まない。

・ 自分の心の奥底まで観察しようとはしない。

・ ケアギバーから認められたいと思っている。

・ バリデートされると安心を感じる。

「認知障害」にいるお年寄りの行動

「認知障害」にいるお年寄りの行動は、彼らが年齢とともにどのような身体的な変化をしてきたか、これまでの人生の中で危機的な状態になった時、どのような精神・心理的状態でそれを乗り越えたのかによって変化します。非難したり、責めたり、めそめそしたり、不平を言ったりすることは、事態が悪くなったときに、「認知障害」にいるお年寄りが用いる一般的な方法です。彼らは、手帳や杖や新聞紙などの物を集めたり、しっかり握り締めたりする傾向があります。「認知障害」にいるお年よりは溺れてる人が、救命胴衣にしがみつくように、よく知っている方法に執着します。彼らは年をとることを恐れているのです。

 事態が悪くなればなるほど彼らは誰かを非難した、責め、めそめそし、不平を言うことが多くなっていきます。「認知障害」にいるお年よりは盗んだ、毒をもっている、スパイしていると言って他人を非難します。それは怒りや、傷つけられることや性的恐怖を和らげるためです。自制心を回復するために、お年よりは失ったもののシンボルとなるものを隠し溜めします。失禁の恐怖を表現するために、トイレットペーパーを隠し溜めするのです。書く能力が失われる恐怖を表すために、鉛筆や紙を隠し溜めするのです。家を失ったり、運転できなくなったりすることの不安を隠すために鍵を隠すのです。

「認知障害」にいるお年寄りを理解する

 1963年から1973年にかけて私は多くの非難するお年寄りに出会いました。わしはお年よりの親類、近隣の人、友人と話しました。病歴や過去の社会生活を調べ、そこからお年よりの行動の糸口を見つけ始め始めました。お年よりの擦り切れた布を張り合わせるようとした時、同じような糸が何度も何度もあらわれました。

 お年寄りの行動を理解するために見つめてきた4つの例には、どんな糸口があったでしょう。これらの4人に共通しているのは次の特徴です。

・ 初期のアルツハイマー型痴呆と診断されていて、偏執的妄想と幻覚を持っている。

・ 精神病の病歴はない。

・ 自分の行動の裏にある理由を知りたいとは思わない。

・ 永い間抑圧してきた感情を表現するために他人を非難する。

・ 現在の失敗がもたらす恥ずかしさや罪悪感や不・ 適切・ さの感情に苦しみ、過去の同・ じような嫌な感情も思い出す。

・ バリデーションを行わなければ、彼らはすべて悪化する。

6 「認知障害」にいるお年寄りを悪化させるテクニック

 「認知障害」(第1ステージ)にいるお年寄りに関わるすべての人は、どんなことが「認知障害」にいるお年寄りの状態を悪化させるのかを理解しなければいけません。私は、彼らが次のことに、うまく反応できないということを見つけました。

・ 心理療法やカウンセリングのような心の奥底を観察する療法。

・ 「・ 行動療法」・

・ お年寄りが非難したり責めている時、事実を直視させること。

・ 自分の感情を理解するように援助されること。

・ 彼ら自身の行動を分析するように求められること。

・ 慰めるために恩着せがましい態度をとられること。

7 「認知障害」にいるお年寄りとコミュニケーションするためのバリデーション・テクニック

 「認知障害」(第1ステージ)にいるお年よりは、日常生活をするうえでは、ほとんどうまく適応します。「認知障害」の行動は、老化によって失ったものが引き起こす不安によってしばしば起こります。たとえばベッドの下に男の人を見つけた女性は、昔は性的な考え方を完全に抑え込んでいました。

 失禁を恥ずかしいと思う男性は、彼が自分の服を汚してしまうまでは、何とか理性的に行動していました。でも、服を汚してしまった後は、壊れた水道管のせいにして他人を非難したのです。

 「認知障害」にいるお年よりには、バリデーションがとても効果的です。バリデーションをするケアギバー(介護者)は共感を持って聞きます。「認知障害」にいるお年よりが自分の過去を覆い隠すために過去を現在にもってきているということを理解します。「認知障害」にいるお年よりは苦痛の感情をバリデートされる時、安心し、悩むことが少なくなります。お年よりはじっくりきいてもらえた時、同じことを繰り返す回数が減ります。優しく思いやりをもって聞いてもらえた時、「認知障害」にいるお年よりは、より満足を感じます。およそ6週間の一貫したバリデーションの後、非難やめそめそすることは減り、まったく無くなってしまうこともあります。最も重要なことは、バリデートされた「認知障害」にいるお年よりはコミュニケーションを続けていくことができ、植物状態に落ち込んでいくのを防げるということです。4人のケースが明らかにしたように、多くのバリデーション・テクニックは「認知障害」にいるお年寄りに効果があります。

1 センタリング(精神の統一・集中)(テクニック1)

 精神の集中は「認知障害」のお年より荷に関わる時には、とても重要です。彼らの非難や行動は、彼らの友達や家族、そしてケアギバーの感情を傷つけることがあります。彼らの行動に対して、傷ついたり怒ったり、フラストレーションを感じたことを認識することです。そして、これらの感情を押入れにしまいこみます。そうすれば、「認知障害」にいるお年寄りの世界に入り込んでいくことが出来ます。

2 真実に基づいた言葉を使う(テクニック2)

 感情よりも事実に基づいた言葉を用います。「認知障害」にいるお年よりは何故自分がそんな行動をするのかについて、あまり関心が有りません。彼ら自分の感情を理解しようとはしません。「認知障害」にいるお年寄りには、「誰」、「何処で」、「いつ」、そして「どうやって」というような質問はいいのですか、決して「何故」という質問を使ってはいけません。事実に到達するような質問にすべきです。「認知障害」にいるお年寄りが自分自身を表現できた時、バリデートされたと感じます。

3 リフレージング(本人の言うことを繰り返す)(テクニック3)

 彼らのキーワードを使って、あなたの言葉で、「認知障害」にいるお年寄りが言ったとおりに言葉を繰り返します。その人の声の調子やテンポにも合わせます。お年寄りの目を見つめて、顔の表情つかみます。心からの共感を示すことによって、「認知障害」にいるお年よりはケアギバーから理解されたと感じるようになります。彼らの怒りはおさまります。リフレージングは真剣に行わなければなりません。バリデートするケアギバーはリフレージングをとおして「認知障害」にいるお年寄りの気持ちを確認し信頼を築きます。

4 好きな感覚を見つけ、この感覚を強調する(テクニック12)

 「認知障害」にいるお年よりの話を聞くことによって、どの感覚が好きか調べることが出来ます。もし、お年寄りが視覚に訴えるような言葉を頻繁に使う傾向にあれば、視覚の感覚に注目します。(たとえば、「それはどのようなものですか?」、「どのように描きますか?」、「それは何色ですか?」、「彼の身長はどのくらいですか?」)。お年寄りが、夜、物音を聞くというのなら、聴覚の感覚に注目します。(たとえば、「それはどんな音に似ていますか?」、「どんなやかましさでしたか?」)。お年寄りが痛みの不平を言うのなら、筋感覚の言葉(たとえば、「どれほど痛いんですか?」、「頭に錘があるみたいですか?」)を使います。

5 極端な表現を使う(テクニック4)

 「認知障害」のステージにいるお年よりは、自分が経験したことが大げさに言い返されるとそれによく反応します。(たとえば、「どれほど痛いんですか?」、「最悪だったのはいつですか?」)。

6 反対のことを想像させる(テクニック5)

 「認知障害」にいるお年寄りに、彼らが話したような行動が起こらなかった時があるかどうかたずねます。(「あなたのベッドの下に男が隠れていなかった時があったの?」、「あなたの同室者があなたの着ているものを盗まなかった時があったの?」)。

7 思い出話をする(テクニック6)

 信頼を得るために、そして現在の危機を乗り越えるために、「認知障害」にいるお年寄りが昔使ったやり方を再び使えるようにするために、過去を探索します。「認知障害」にいるお年よりは新しい対処方法を学ぶことはもう出来ません。しかし、彼らは危機に対処する昔使っていた方法を活用することが出来ます。

 「認知障害」にいるお年寄りと信頼関係をつくるために、バリデーションのセッションは個室で行われなければなりません。バリデーションを行うケアギバーが「認知障害」にいるお年寄りと一緒に過ごす時間は、お年よりの言語能力、注意を集中していられる時間、ケアギバーが用意できる時間によります。この「解決ステージ」にいる人々は、1日3回、5分から10分程度のバリデーションのセッションで充分でしょう。信頼関係をつくるためのバリデーションは週に最低1回程度は行うべきです。セッションが途切れないようにすることは大変重要なことです。というのは、「認知障害」にいるお年よりは「拒絶されること」、「見捨てられること」を大変恐れるからです。彼らは、「必要とされている」と感じることが必要なのです。

 バリデーションの結果は驚くべき効果が期待できます。5分から10分間のセッションの後、ケアギバーはお年よりの不安を軽減できたことを示す次のような身体的変化に気付くはずです。

・ 下唇・ がリラックスする。

・ 声が落ち着いてくる。

・ 呼吸がより安定してくる。

・ 筋肉がリラックスする。

・ 目が穏やかになる。

非難や責めることを止める、また少なくなる

 

バリデーションのセッションを終える時、ケアギバーは多くの「認知障害」にいるお年寄りが、あまりなれなれしくされたくないことを覚えておかなければなりません。抱きついたりすることは、お年寄りに不快な感情を与えます。握手したり、腕を優しくさする程度でセッションを終わることがよりよい方法です。

 

 

高瀬船

              森鴎外

高瀬船は京都の高瀬川を上下する小船である。徳川時代に京都の罪人が遠島を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷に呼び出されて,そこで暇乞いをすることを許された。それから罪人は高瀬船に載せられて、大阪へ廻されることであった。それを護送するのは、京都町奉行の配下にいる同心で、この同心は罪人の親類の中で、主だった一人を大阪まで同船させることを許す慣例であった。これは上へ通った事ではないが、所謂大目に見るのであった、黙許であった。

当時遠島を申し渡された罪人は、勿論重い科を犯したものと認められた人であるが、決して盗みをするために、人を殺し火を放ったというような、獰悪な人物が多数を占めていたわけではない。高瀬船に乗る罪人の過半は、所謂心得違いのために、思わぬ科を犯した人であった。有り触れた例をあげて見れば、当時相対死といった情死を謀って、相手の女を殺して、自分だけ生き残った男というような類である。

そういう罪人を載せて、入相の鐘の鳴るころに漕ぎ出された高瀬船は、黒ずんだ京都の町の家々を両岸に見つつ、東へ走って、加茂川を横切って下るのであった。この船の中で、罪人とその親類の者とは夜どうし身の上を語り合う。いつもいつも悔やんでも還らぬ繰り言である。護送の役をする同心は、そばでそれを聞いて、罪人を出して親族眷属の悲惨な境遇を細かく知ることが出来た。所詮町奉行の白州で、表向きの口供を聞いたり、役所の机の上で、口書きを呼んだりする役人の夢にも窺うことのできぬ境遇である。

同心を勤める人にも、種々の性質があるから、この時ただうるさいと思って、耳を掩いたく思う冷淡な同心があると思えば、またしみじみと人の哀れを身に引き受けて、役柄ゆえ気色には見せぬながら、無言の中にひそかに胸を痛める同心もあった。場合によって非常に悲惨な境遇に陥った罪人とその親類とを、特に心弱い、涙脆い同心が宰領して行くことになると、その同心は深くの涙を禁じ得ぬのであった。

そこで高瀬船の護送は、町奉行所の同心仲間で、不快な職務として嫌われていた。

 

いつのころであったか、たぶん江戸で白河楽翁侯が政柄を執っていた寛政のころででもあっただろう。知恩院の桜が入相の鐘に散る春の夕べに、これまで類のない、珍しい罪人が高瀬船に載せられた。

それは名を喜助といって、三十歳ばかりになる、住所不定の男である。もとより牢屋敷に呼び出されるような親類はいないので、船にもただ一人で乗った。

護送を命じられて、いっしょに船に乗り込んだ同心羽田庄兵衛は、ただ喜助が弟殺しの罪人だということだけを聞いていた。さて牢屋敷から桟橋まで連れてくる間、この痩肉の、色の蒼白い喜助の様子を見るに、いかにも神妙に、いかにもおとなしく、自分をば公儀の役人として敬って、何事につけても逆らわぬようにしている。しかもそれが、罪人の間に往々見受けられるような、温順を装って権勢に媚びる態度ではない。

庄兵衛は不思議に思った。そして船に乗ってからも、単に役目の表で見張っているばかりでなく、絶えず喜助の挙動に、細かい注意をしていた。

その日は暮れから風が歇んで、空一面を蔽った薄い雲が、月の輪廓をかすませ、ようよう近寄って来る夏の温かさが、両岸の土からも、川床の土からも、靄になって立ち昇るかと思われる夜であった。下京の町を離れて、加茂川を横ぎったころからは、あたりがひっそりとして、ただ舳に割かれる水のささやきを効くのみである。

夜船で寝ることは、罪人にも許されているのに、喜助は横になろうともせず、雲の濃淡に従って、光の増したり減じたりする月を仰いで、黙っている。その顔は晴れやかで目には微かなかがやきがある。

庄兵衛はまともには見ていぬが、始終喜助の顔から目を離さずにいる。そして不思議だ、不思議だと、心の内で繰り返している。それは喜助の顔が、縦から見ても、横から見ても、いかにも楽しそうで、もし役人に対する気兼ねがなかったなら、口笛を吹き始めるとか、鼻歌を歌いだすとかしそうに思われたからである。

庄兵衛は心の内に思った。これまでこの高瀬船の宰領をしたことは、幾度だか知れない。しかし載せて行く罪人は、いつもほとんど同じように、目も当てられぬ気の毒な様子をしていた。それにこの男はどうしたのだろう。遊山船にでも乗ったような顔をしている。罪は弟を殺したのだそうだが、よしやその弟が悪い奴で、それをどんな行き掛かりになってころしたにせよ、人の情として好い心持ちはせぬはずである。この色の蒼い痩せ男が、その人の情が全く欠けているほどの、世にも稀な悪人であろうか。どうもそうは思わない。ひょっと気でも狂っているのではあるまいか。いやいや、それにしては何一つ辻褄の合わぬ言語や挙動がない。この男はどうしたのだろう。庄兵衛がためには喜助の態度が考えれば考えるほどわからなくなるのである。

 

しばらくして、庄兵衛はこらえ切れなくなって呼びかけた。「喜助。お前何を思っているのか。」

「はい」と言ってあたりを見廻した喜助は、何事かをお役人に見咎められたのではないかと気遣うらしく、居ずまいを直して庄兵衛の気色を伺った。

庄兵衛は自分が突然問いを発した動機をあかして、役目を離れた応対を求める分疏をしなくてはならぬように感じた。そこでこう言った。「いや。別にわけがあって聞いたのではない。実はな、己は先刻からお前の島へ往く心持ちが聞いてみたっかたのだ。己はこれまでこの船で大勢の人を島へ送った。それはずいぶんいろいろな身の上の人だったのだが、どれもどれも島へ往くのを悲しがって、見送りにきて、一しょに船に乗る親類のもと、夜どおし泣くに極まっていた。それにお前の様子を見れば、どうも島へ往くのを苦にしていないようだ。いったいお前はどう思っているのだい。」

喜助はにっこり笑った。「ご親切に仰って下すって有難うございます。なるほど島へ往くということは、ほかの人には悲しい事でございましょう。その心持ちは私にも思い遣ってみることはできます。しかしそれは世間で楽をしていた人だからございます。京都は結構な土地でございますが、その結構な土地で、これまで私のいたして参ったような苦しみは、どこへ参ってもなかろうかと存じます。お上のお慈悲で、命を助けて島へ遣ってくださいます。島はよしや辛いとこでも、鬼の栖む所ではございますまい。わたくしはこれまで、どこといって自分のいて好い所というものがございませんでした。こんどお上で島へいろと仰って下さいます。そのいろと仰る所に落ち着いていることができますのが、まず何よりも難有い事でございます。それにわたくしはこんなかよわい体ではございますが、ついぞ病気をいたしたことがございませんから、島へ往ってから、どんなつらい為事をしたって、体を痛めるようなことはあるまいと存じます。それにこん度島へお遣り下さるに付きまして、二百文の鳥目を戴きました。それをここに持っております。」こう言い掛けて、喜助は胸に手を当てた。遠島を仰せ付けられるものには、鳥目二百銅を渡すというのは、当時の掟であった。

喜助は言葉を続いだ。「お恥ずかしい事を申し上げなくてはなりませぬが、わたくしは今日まで二百文というお足を、こうして懐に入れて持っていたことはございませぬ。どこかで為事に取り付きたいと思って、為事を尋ねて歩きまして、それが見付かり次第、骨を惜しまずに働きました。そして貰った銭は、いつも右から左へ人手に渡さなくてはなりませなんだ。それも現金で物が買って食べられる時は、私の工面の好い時で、たいていは借りたものを返して、また跡を借りたのでございます。それがお牢に入ってからは、為事をせずに食べさせて戴きます。わたしはそればかりでも、お上に対して済まない事をいたしているようでなりませぬ。それにお牢を出る時に、この2百文を戴きましたのでございます。こうして相変わらずお上の物を食べて見ますれば、この二百文はわたしが使わずに持っていることができます。お足を自分のものとして持っているということは、わたくしに取っては、これが始めでございます。島へ往ってみますまでは、どんな為事ができるかわかりませんが、わたくしはこの二百文を島でする為事の本手にしようと楽しんでおります。」こう言って、喜助は口を噤んだ。

庄兵衛は「うん、そうかい」とは言ったが、聞く事毎にあまりに意表に出たので、これもしばらく何も言うことができずに、考え込んで黙っていた。

庄兵衛はかれこれ初老に届く年になっていて、もう女房に子供を四人生ませている。それに老母が生きているので、家は七人暮らしである。平生人には吝嗇と言われるほどの、倹約の生活をしていて、衣類は自分が役目のために着るもののほか、寝巻きしか拵えぬくらいにしている。しかし不幸な事には、妻を好い身代の商人の家から迎えた。そこで女房は夫の扶持米で暮らしを立てていこうとする善意はあるが、裕な家に可哀いがられて育った癖があるので、夫が満足するほど手元を引き締めて暮して行くことができない。ややもすれば月末になって勘定が足りなくなる。すると女房が内証で里から金を持って来て帳尻を合わせる。それは夫が借財というものを毛虫のように嫌うからである。そういうことは所詮夫に知れずにはいない。庄兵衛は五節句だと言っては、里方から物を貰い、子供の七五三の祝いだと言っては、里方から子供に衣類を貰うのでさえ、心苦しく思っているのだから、暮らしの穴を填めて貰ったのに気が付いては、好い顔はしない。格別平和を破るような事のない羽田の家に、おりおり波風の起こるのは、これが原因である。

庄兵衛は今喜助の話を聞いて、喜助の身の上をわが身の上に引き比べてみた。喜助は為事をして給料を取っても、右から左へ人手に渡して亡くしてしまうと言った。いかに哀れな、気の毒な境界である。しかし一転して我が身の上を顧みれば、彼と我との間に、はたしてどれほどの差があるか。自分も上から貰う扶持米を、右から左へ人手に渡して暮しているに過ぎぬではないか。彼と我との相違は、いわば十露盤の桁が違っているだけで、喜助の難有がる二百文に相当する貯蓄だに、こっちはないのである。

さて桁を違えて考えてみれば、鳥目二百文をでも、喜助がそれを貯蓄と見て喜んでいるのに無理はない。その心持ちはこっちから察して遣ることができる。しかしいかに桁を違えて考えてみても、不思議なのは喜助の欲のないこと、足ることを知っていることである。

喜助は世間で為事を見付けるのに苦しんだ。それを見付さえすれば、骨を惜しまずに働いて、ようよう口に糊することのできるだけで満足した。そこで牢に入ってからは、今まで得難かった食が、ほとんど天から授けられるように、働かずに得られるのに驚いて、生まれてから知らぬ満足を覚えたのである。庄兵衛はいかに

桁を違えて考えてみても、ここに彼と我との間に、大いなる懸隔のあることを知った。自分の扶持米で立てて行く暮らしは、おりおり足らぬことがあるにしても、たいてい出納があっている。手いっぱいの生活である。しかるにそこに満足を覚えたことはほとんど無い。常は幸いとも不幸とも感ぜずに過ごしている。しかし心の奥には、こうして暮していて、ふいとお役が御免になったらどうしよう。大病にでもなったらどうしようという疑懼が潜んでいて、おりおり妻が里方から金を取り出してきて穴填をしたことなどがわかると、この疑懼が意識の閾の上に、頭を擡げてくるのである。

いったいこの懸隔はどうして生じて来るのだろう。ただ上辺だけを見て、それは喜助に係累がないのに、こっちはあるからだと言ってしまえばそれまでである。しかしそれは嘘である。よしや自分が一人者であったとしても、どうも喜助のような心持ちにはなれない。この根抵はもっと深い処にあるようだと、庄兵衛は思った。

庄兵衛は呆然と人の一生というような事を思ってみた。人は身に病があると、この病がなかったらと思う。その日その日の食がないと、食っていかれたらと思う。万一の時に備える蓄えがないと、少しでも蓄えがあったら戸思う。蓄えがあっても、またその蓄えがもっと多かったらと思う。かくのごとくに先から先へと考えて見れば、人はどこまで往って踏み止まることができるのものやら分からない。それを今目の前で踏み止まって見せてくれるのがこの喜助だと、庄兵衛は気が付いた。

庄兵衛は今さらのように驚異の目を瞠って喜助を見た。この時庄兵衛は空を仰いでいる喜助の頭から毫光がさすように思った。

 

庄兵衛は喜助の顔をまもりつつまた、「喜助さん」と呼び掛けた。こんどは「さん」と言ったが、これは十分の意識を以って称呼を改めたわけではない。その声が我が口から出てわが耳にはいるや否や、庄兵衛はこの称呼の不穏当なのに気が付いたが、今さら既に出た詞を取り返すこともできなかった。「はい」と答えた喜助も、「さん」と呼ばれたのを不審に思うらしく、おそるおそる庄兵衛の気色を覗った。

庄兵衛は少し間の悪いのをこらえて言った。「色々の事を聞くようだが、お前が今度島へ遣られるのは、人をあやめたからとだという事だ。己についでにそのわけを話して聞かせてくれぬか。」

喜助はひどく恐れ入った様子で、「かしこまりました」と言って、小声で話し出した。「どうも飛んだ心得違いで、恐ろしい事をいたしまして、なんとも申し上げようがございませぬ。跡で思ってみますと、どうしてあんなことが出来たかと、自分ながら不思議でなりませぬ。全く夢中でいたしましたのでございます。わたくしは小さい時に二親が時疫で亡くなりまして、弟と二人跡に残りました。初めはちょうど軒下に生まれた狗の子に不憫を掛けるように町内の人たちがお恵み下さいますので、近所中の走り使いなどをいたして、飢えも凍えもせずに、育ちました。次第に大きくなりまして職を捜しますにも、なるたけ二人が離れないようにいたして、一しょにいて助け合って働きました。去年の秋の事でございます。わたくしは弟と一しょに、西陣の織場に這入りまして、空引きということをいたすことになりました。そのうち弟が病気で働けなくなったのでございます。そのころわたくしどもは北山の掘建小屋同様の所に寝起きをいたして、紙屋川の橋を渡って職場へ通っておりましたが、わたくしが暮れてから、食べ物などを買って帰ると、弟は待ち受けていて、わたくしを一人で稼がせて済まない済まないと申しておりました。ある日いつものように何心なく帰って見ますと、弟は布団の上に突っ伏していまして、周りは血だらけなのでございます。わたくしはびっくりいたして、手に持っていた竹の皮包みや何かを、そこへおっぽり出して、傍へ往って「どうしたどうした」と申しました。すると弟は真蒼白な顔の、両方の頬から腮へ掛けて血に染まったのを挙げて、わたくしを見ましてが、物を言うことができませぬ。息をいたす度に、創口でひゅうひゅうという音がいたすだけでございます。わたくしにはどうも様子がわかりませんので、「どうしたのだい、血をはいたのかい」と言って、傍へ寄ろうといたすと、弟は右の手を床に衝いて少し体を起こしました。左の手はしっかり腮の下の所を押さえていますが、その指の間から黒血の固まりはみ出しています。弟は目でわたくしの傍へ寄ろうとするのを留めるようにして口を利きました。ようよう物が言えるようになったのでございます。「済まない。どうぞ堪忍してくれ。どうせなおりそうにもない病気だから、早く死んで少しでも兄きに楽がさせたいと思ったのだ。すぐ死ねるだろうと思ったが息がそこから漏れるだけで死ねない。深く深くと思って、力いっぱい押し込むと、横へすべってしまった。歯は飜れはしなかったようだ。これをうまく抜いてくれたら己は死ぬるだろうと思っている。物を言うのがせつなくて可けない。どうぞ手を借して抜いてくれ」と言うのでございます。弟が左の手を弛めるとそこからまた息が漏ります。わたくしはなんと言おうにも、声が出ませんので、黙って弟の喉の創を覗いて見ますと、なんでも右の手に剃刀を持って、横に笛を切ったが、それでは死に切れなかったので、そのまま剃刀を刳るように深く突っ込んだのと見えます。柄がやっと二寸ばかり創口から出ています。わたくしはそれだけのことを見て、どうしようという思案も附かずに、弟の顔を見ました。弟はじっとわたくしを見詰めています。わたくしはやっとの事で、「待っていてくれ、お医者を呼んでくるから」と申しました。弟は怨めしそおうな目付きをいたしましたが、また左の手で喉をしっかりと押さえて、「医者がなんになる、ああ苦しい、早く抜いてくれ、頼む」と言うのでございます。わたくしは途方に暮れたような心持ちになって、ただ弟の顔ばかり見ております。こんな時は、不思議なもので、目が物を言います。弟の目は「早くしろ早くしろ」と言って、さも怨めしそうにわたくしを見ています。わたくしの頭の中では、なんだか車の輪のような物がぐるぐる回っているようでございましたが、弟の目は恐ろしい催促を罷めません。それにその目の怨めしそうながだんだん険しくなって来て、とうとう敵の顔でも睨むような、憎々しい目になってしまいます。それを見ていて、わたくしはとうとう、これは弟の言った通りにして遣らなくてはならないと思いました。わたくしは「しかたがない、抜いて遣るぞ」と申しました。すると弟の目の色がからりと変わって、晴れやかに、さも嬉しそうになりました。わたくしはなんでも一思いにしなくてはと思って膝を撞くようにして体を前へ乗り出しました。弟は衝いていた右の手を放して、今まで喉を押さえていた手の肘を床に衝いて、横になりました。わたくしは剃刀の柄をしっかり握って、ずっと引きました。この時わたくしの内から絞めて置いた表口の戸をあけて、近所の婆さんが這入って来ました。留守の間、弟に薬を飲ませたり何かしてくれるように、わたくしの頼んで置いた婆さんなのです。もうだいぶ内のなかが暗くなっていましたから、わたくしには婆さんがどれだけの事を見たのだかわかりませんでしたが、婆さんはあっと言ったきり、表口を開け放しにして置いて駆け出してしまいました。わたくしは剃刀を抜く時、手早く抜こう、まっすぐに抜こうというだけの用心はしましたが、どうも抜いたときの手応えは、今まで切れていなっか所を切ったように思われました。刃が外の方に向いていましたから、外の方が切れたのでございましょう。わたくしは剃刀を握ったまま、婆さんが這入ってきてまた駆け出して行ったのを、ぼんやりして見ておりました。婆さんが往ってしまってから、弟を見ますと、弟はもう息が切れておりました。創口からは大そうな血が出ておりました。それから年寄り衆がお出でになって、役場へ連れて行かれますまで、わたくしは剃刀を傍に置いて、目を半分あいたまま死んでいる弟の顔を見詰めていたのでございます。」

少し俯向き加減になって庄兵衛の顔を下から見上げて話していた喜助は、こう言ってしまって視線を膝の上に落とした。

喜助の話はよく条理が立っている。ほとんど条理が立ち過ぎていると言っても好いくらいである。これは半年ほどの間、当時のことを幾度も思い浮かべて見たのと、役場で問われ、町奉行で取り調べられるその度毎に、注意に注意を浚ってまさせられたのとのためである。

庄兵衛はその場の様子を目のあたりに見るような思いをして聞いていたが、これが果たして弟殺しというものだろうか、人殺しというものだろうかという疑いが、話を半分聞いた時から起こって来て、聞いてしまっても、その疑いを解くことができなかった。弟は剃刀を抜いてくれたら死なれるであろうから、抜いてくれと言った。それを抜いて遣って死なせたのだ、殺したのだとは言われる。しかしそのままにして置いても、どうせ死ななくてはならぬ弟であったらしい。それが早く死にたいと言ったには、苦しさに耐えなっかったからである。喜助はその死を見ているに忍びなかった。苦から救って遣ろうと思って命を絶った。それが罪であろうか。殺したのは罪に相違ない。しかしそれが苦から救うためであったと思うと、そこに疑いが生じて、どうしても解けぬのである。

庄兵衛の心の中には、いろいろに考えてみた末に、自分より上のものの判断に任すほかないという念、オオトリテに従うほかないという念が生じた。庄兵衛は御奉行の判断を、そのまま自分の判断にしようと思ったのである。そうは思っても、庄兵衛はまだどこやらに腑に落ちぬものが残っているので、なんだかお奉行様に聞いてみたくてならなかった。

次第に更けていく朧夜に、沈黙の二人を載せたたかせ船は、黒い水の面をすべって行った。

                    (大正五年一月)

高瀬船縁起

 京都の高瀬川は、五条から南は天正十五年に、二条から五条までは慶長十七年に、角倉了以が掘ったものだそうである。そこを通う船は曳船である。原来たかせは船の名で、その船の通う川を高瀬川と言うのだから、同名の川は諸国にある。しかし船は曳船に限らぬので、「和名鈔」には釈なの「艇小而深者曰 」とある の字をたかせに当ててある。竹柏園文庫の「和漢船用集」を借覧するに、「おもて高く、とも、よこともにて、低く平らなるものなり」と言ってある。そして図には?で行る船がかいてある。

 徳川時代には京の罪人が遠島を言い渡されると、高瀬船で大阪へ廻されたそうである。それを護送して行く京都町奉行附の同心が悲しい話ばかり聞かされる。あるときこの船に載せられた兄弟殺しの科を犯した男が少しも悲しがっていなかった。その仔細を尋ねると、これまで食を得るのに困っていたのに、遠島を言い渡された時、銅銭二百文を貰ったが、銭を使わずに持っているのは始めだと答えた。また人殺しの科はどうして犯したかと問えば、兄弟は西陣に傭われて、空引きということをしていたが、給料が少なくて暮らしが立ち兼ねた、その内同胞が自殺を謀ったが、死に切れなかった、そこで同胞が所詮助からぬから殺してくれと頼むので、殺して遣ったと言った。

 この話は「翁草」に出ている。池辺義象さんの校訂した活字本で一ペエジ余に書いてある。私はこれを読んで、その中に二つの大きい問題が含まれていると思った。一つは財産というものの観念である。銭を持ったことのない人の銭を持つ喜びは、銭の多少に閑せない。人の欲には限りがないから、銭を持ってみると、いくらあればよいという限界は見出されないのである。二百文を財産として喜んだのが面白い。今一つには死に掛かっていて死なれずに苦しんでいる人を、死なせて遣るという事である。人を死なせて遣れば、すなわち殺すということになる。どんな場合にも人を殺してはならない。「翁草」にも、教えのない民だから、悪意がないのに人殺しになったというような、批評の詞があったように記憶する。しかしこれはそう容易に杓子定規にで決してしまわれる問題ではない。ここに病人があって死に瀕して苦しんでいる。それを救う手段は全くない。傍からその人の苦しむのを見ている人はどう思うであろうか。たとえ教えのある人でも、どうせ死ななくてはならぬものなら、あの苦しみを長くさせて置かずに、早く死なせて遣りたいという情は必ず起こる。ここに麻酔薬を与えて好いか悪いかという疑いが生ずるのである。その薬は致死量でないにしても、薬を与えれば、多少死期を早くするかもしれない。従来の道徳は苦しませて置けと命じている。しかし医学社会には、これを非とする論がある。すなわち死に瀕して苦しむものがあったら、楽に死なせて、その苦を救って遣るが好いというのである。これをユウタナジイという。楽に死なせるという意味である。高瀬船の罪人は、ちょうどそれと同じ場合にいたように思われる。私にはそれがひどく面白い。

 こう思って私は「高瀬船」という話を書いた。「中央公論」で公にしたのがそれである。

                     

                     (大正五年一月)

 

 

 

身体拘束ゼロへの手引き  厚生労働省「身体拘束ゼロ作戦推進会議」

高齢者ケアに関するすべての人に

身体拘束ゼロの時代へ

身体拘束は{やむを得ない}のだろうか

身体拘束を許容するする考え方を問い直そう

全員の強い意志で「チャレンジ」を

「身体拘束ゼロ」を現実のものに

 

身体拘束はなぜ問題なのか

1)身体拘束がもたらす多くの弊害

 身体的弊害 身体拘束は、先ず次のような身体的弊害をもたらす。

1 本人の関節の拘縮、筋力の低下と言った身体機能の低下や圧迫部位の褥創の発生などの外的弊害をもたらす。

2 食欲の低下、心肺機能や感染症への抵抗力の低下など内的弊害をもたらす。

3 車椅子に拘束しているケースでは無理な立ち上がりによる転倒事故、ベッド柵のケースでは乗り越えによる転落事故、さらに拘束具による窒息などの大事故を発生させる危険性すらある。

このように本来のケアにおいて追究されるべき「高齢者の機能回復」と言う目的とまさに正反対の結果を招くおそれがある。

 精神的障害 身体拘束は精神的にも大きな弊害をもたらす。

1 本人に不 安や怒り、屈辱、あきらめと言った多大な精神的苦痛を与えるばかりか人間としての尊厳も侵す。

身体拘束によってさらに痴呆が進行し、せん妄の頻発をもたらすおそれがある。

また、家族にも大きな精神的苦痛を与える。自らの親や配偶者が拘束されている姿を見たとき、混乱し、後悔し、そして罪悪感にさいなまれる家族は多い。

さらに、看護・介護するスタッフも、自ら行うケアに対して誇りをもてなくなり、安易な拘束が士気の低下を招く。

 社会的弊害 こうした身体拘束の弊害は、社会的にも大きな問題を含んでいる。

身体拘束は、看護・介護スタッフ自身の士気の低下を招くばかりか、介護保健施設に対する社会的な不信、偏見を引き起こすおそれがある。また、身体拘束による高齢者の心身機能の低下は、その人のQOLを低下させるだけでなく、更なる医療的処置を生じさせ、経済的にも少なからぬ影響をもたらす。

  2) 拘束が拘束を生む「 悪循環」

  身体拘束による「悪循環」を認識する必要がある。痴呆があり体力も弱っている高     齢者を拘束すれば、ますます体力は衰え、痴呆が進む。その結果、せん妄や転倒等の2次的3次的な障害が生じ、その対応のためにさらに拘束を必要と状況が生み出されるのである。

最初は「一時的」としてはじめた身体拘束が、時間の経過とともに、「常時」の拘束となってしまい、そして場合によっては身体機能の低下とともに高齢者の死期を早める結果にもつながりかねない。

身体拘束の廃止は、この「悪循環」を、高齢者の自立促進を図る「よい循環」に変えることを意味しているのである。

身体拘束禁止の対象となる具体的な行為

 介護保険指定基準において禁止の対象となっている行為は、「身体的拘束その他入所者(利用者)の行動を制限する「行為」である。具体的には次のような行為があげられる。

1 徘徊しないように、車椅子やいす、ベッドに体幹や四肢をひも等で縛る。

2 転落しないように、ベッドに、体幹や四肢をひも等で縛る。

3 自分で降りられないように、ベッドを柵(サイドレール)で囲む。

4 点滴・経管栄養のチューブを抜かないように、四肢をひも等で縛る。

5 点滴・経管栄養のチューブを抜かないように、また皮膚をかきむしらないように、手指6 の機能を制限するミトン型の手袋等をつける。

7 車椅子やいすからずり落ちたり、立ち上がったりしないように、Y字型拘束帯や腰ベルト、車椅子テーブルをつける。

8 立ち上がる能力のある人の立ち上がりを妨げるようないすを使用する。

9 脱衣やおむつはずしを制限するために、介護衣(つなぎ服10 )を着せる。

11 他人への迷惑行為を防ぐために、ベッドなどに体幹や四肢をひも等で縛る。

     12)行動を落ち着かせるために、向精神薬を過剰に服用させる。

    13)自分の意思で開けることのできない居室等に隔離する。

 

身体拘束についての家族の声(「呆け老人をかかえる家族の会」アンケート調査より抜粋)

○ アルツハイマーの夫について「点滴をはずしたら困るから両手を縛ってもいいでしょうか」 と医師にいわれ、そうした。「 かわいそうだ」 といってナースの一人が自由にしたとき、重ねて縛られていた両手をさすっている夫の姿を見て、思わず泣いてしまった。

○ 私の父は、夫婦部屋に入ったにもかかわらず、4年前に徘徊したばかりに別々にさせられ、何もない4人部屋で立ち上がり防止の車椅子の腰ベルトをさせられた。家族が訪ねても職員が「 いいですよ」 といわない限り、母のところは連れて行くこともできず、泣く泣く帰ったことがある。

つなぎ服 については、私も同 じようなことをした経験があり、介護のひとつの手段として選ばざるを得なかったが、なくなった今は窮屈だったろうと自責の念が残っている。

○ 入院当初、家に帰りたがるために、入り口に施錠し、薬でおとなしくさせることがあった。病院に入れて病人をひどくさせたようで後悔したが、こちらから入院を頼んだという事情もあり、病院のやり方が不 満でも致し方なかった。

○ 「 治療のため」 というが、そればかりとは思えない。病院の職員はそれが当然のごとく振る舞いできれば取り外してあげようという態度がみられない。また点滴なども取り外せないような位置を真剣に考えれば、工夫できると思う。

○ 人権尊重を考えれば、身体拘束禁止は当然と思うが、働く方々の意識を変えていかなければ、たとえ禁止令が出たとしても、なくなることはないと思う。

 

身体拘束をめぐる看護・介護の声

Aさんは車椅子から滑り落ちないようにいつも安全ベルトをされたまま、会話もなくぼんやりと毎日を過ごされていました。あるとき隣の幼稚園の園児の声が聞こえると、立ち上がろうとするような動きがあったので、何とか幼稚園の近くまで行けるようにとケア目標をたてました。最初は立てなかったAさんがリハビリをして、今では、幼稚園の垣根際まで杖で歩いて行けるようになりました。時々笑顔で子供たちに声をかけながら目を細めている姿が、私たちのケアに対する大きな自信と励みになっています。

○ 身体拘束をしないケアを心がけていますが、スタッフによってどこまでが身体拘束なのか、捕らえ方はまちまちです。多くのスタッフは、車椅子のテーブルや安全ベルトが身体拘束となるとは思っていません。お年よりは急に立ち上がろうとすることがあるので、ちょっとその場を離れるといったやむを得ない場合には拘束します。骨折などの事故が起こって、お年寄りに痛い思いをさせるよりは安全ベルトするほうがベターだと皆が言っています。私は、拘束するとき、いつも一人で悩んでいます。

○ 安全優先で、危機回避の方法として、不 本意ながら拘束を行っていました。ご家族からも「 転倒させないでほしい」 ときつく言われていたからです。どう対応したらよいかスタッフ間で何回も話し合いを行ったのですが、「 はずして転倒した場合に責任を誰がとるのか」と反対意見も多くて、なかなかはずす事ができませんでした。だんだん無表情になっていくお年寄りを見ていると、私自身とてもつらいです。

○ 夜間徘徊があるため睡眠剤を服 用している患者さんが入院されました。歩行が不安定で転倒の危険があるため、当初は拘束をせざるを得ませんでしたが、何か方策はあるはずだと考え、また、自分がその立場だったらどんなに屈辱的なことかと思いました。そこで、患者さんも交えて、看護・介護スタッフ、医師および理学療法士でケアカンファレンスをもちました。どんな治療とケアを行うかを話し合い、ケアプランを作成してその方針のもとにケアを行いました。何度か転倒もありましたが、患者さんの状態も一ヶ月半を過ぎると安定してきて成功を確信。失敗もありますが、チームケアの成果は私たちの財産だと思っています。

○ 身体拘束をゼロにしようと、身体拘束を行っていない施設の見学に行きました。施設職員が、なんと明るく生き生きしていることか。また、お年寄りがなんと穏やかで個性的なことか。施設全体の雰囲気から質の高いケア(縛るという発想のないケア)が提供されていると実感しました。

 

五つの基本的ケア

○ 起きる

   人間は座っているとき、重力が上からかかることにより覚醒する。目が開き、耳が聞こえ、自分の周囲で起っていることがわかるようになる。これは仰臥して天井を見ていたのではわからない。起きるのを助けることは人間らしさを追及する第一歩である。

○ 食べる

   人にとって食べることは楽しみや生きがいであり、脱水予防、感染予防にもなり、点滴や経管栄養が不要になる。食べることはケアの基本である。

○ 排泄する

   なるべくトイレで排泄してもらうことを基本に考える。おむつを使用している人については、随時交換が重要である。おむつに排泄物が付いたままになっていると気持ち悪く、「おむついじり」などの行為につながることになる。

○ 清潔にする

   きちんと風呂に入ることが基本である。皮膚が不潔なことがかゆみの原因になり、そのために大声を出したり、夜眠れずに不穏になったりすることになる。皮膚をきれいにしておけば、本人も快適になり、また、周囲も世話をしやすくなり、人間関係も良好になる。

○ 活動する(Activity

   その人の状態や生活に合ったよい刺激を提供することが重要である。具体的には、音楽、工芸、ゲーム、家事、ペット、テレビなどが考えられる。言葉によるよい刺激もあれば、言葉以外の刺激もあるが、いずれにせよ、その人らしさを追究するうえで、心地よい刺激が必要である。

 

 

 

特定疾病の基礎知識

(初老期における痴呆)

アルツハイマー病

疾患の概念

○ 脳神経細胞の変性により、脳神経細胞が減少するために痴呆をきたす疾患である。

○ 初老期痴呆を起こす代表的なものだが、原因は不 明である。

○ 痴呆症状を起こす40%を占め、65歳以下で発症するが、65歳以上の発症もある。

○ 男性より女性に多いとされる。

症状・所見

○ 最初は記憶障害から始まり、最近の出来事は忘れているが古い記憶はほぼ保たれてい

○ 見当識は日時が不正確な程度で、場所、人物などは認識できる。

○ 通常の会話は可能だが、興味や注意力が減退し、複雑で高度の判断を要することはできない。

○ 中等度になると、最近の記憶だけでなく古い記憶も不完全になる。

○ 日時の見当識がなくなり、場所、人物についても不十分となる。

○ 会話は、簡単な会話だけとなり、日常生活にも部分的な介助を要する。

○ 更に重度になると、新しい記憶も古い記憶も障害され、見当識も全くなくなる。

○ 会話は成立しなくなり、日常生活では全面的介助が必要となる。

ケアの留意点

○ 副次症状に合わせた薬剤投与で症状緩和を行うが、副作用の有無を十分観察する。

○ 他の痴呆性老人と同様に、なじみの人間関係をつくる。

○ その行動を受容し、十分に耳を傾けてその意味を理解する。

○ 相手のペースに合わせ、その気持ちに共感しながら納得を得られるようにする。

○ 寝たきりにならないようにし、適切な刺激を少しづつでも与える。

 

<ピック病>

疾患の概念

○ 初老期痴呆の一疾患で、アルツハイマー病と類似する症状を呈するが、脳のピック小体の変性が認められる。

○ 初老期でも特に40〜60歳に発現し、慢性的に進行する疾患である。

○ 原因は不明である。

症状・所見

○ 初期から人格変化や感情障害をきたす点がアルツハイマー病との違いである。

○ 不○ 安、不機嫌、盗みなどの反社会的行為や、子供っぽい行動がみられる。

○ 運動機能は比較的よく保たれ、動作も敏捷だが、早期から言語障害が起り、特に同○ じ言葉を何度でも繰り返して発言したり(滞続言語)や自発語の減少などを呈する。

○ 無関心、怒りっぽい、抑うつ状態、多幸などが出現する。

○ 重度になれば無言、無動となり、四肢筋の剛直により寝たきりになることもある。

ケアの留意点

○ 原因療法はなく、副次症状に対する向精神薬の投与などの薬物療法が中心となるが副作用の有無を十分観察する。

○ 他の痴呆性老人と同様に、なじみの人間関係をつくる。

○ その行動を受容し、十分に耳を傾けてその意味を理解する。

○ 相手のペースに合わせ、その気持ちに共感しながら納○ 得を得られるようにする。

○ 特に夜間不穏や昼夜逆転がある場合には、昼間の活動に積極的に誘導する。

○ 寝たきりにならないようにし、適切な刺激を少しづつでも与える。

 

脳血管性痴呆

疾患の概念

○ 脳血管障害(脳出血や脳梗塞)を原因として痴呆症状を呈する疾患である。

○ 脳血管障害が少しずつ多数生じた多発性脳梗塞の場合は、残った脳は正常なため知識もまばらに残っているのが特徴である(まだら痴呆)。

○ 脳血管障害が原因となるため、障害された動脈の支配する領域の神経症状、たとえば意識障害や片麻痺、言語障害などを伴う。

症状。所見

○ 初期症状は物忘れで始まることが多い。

○ アルツハイマー型痴呆に比べ、判断力や人格はよく保たれている。

○ 脳血管性痴呆には、神経細胞死によってもたされる中核症状と、脳機能の低下過程で出現する周辺症状がある。

○ 中核症状では、記憶障害、失語、失行、失認などの症状が著しい。

○ 周辺症状では、妄想、せん妄、不安、焦燥、興奮、不眠などの症状が著しい。

○ まだら痴呆の特徴として、新聞の活字は明らかに読めないものの、どのような内容かは理解しているといったケースもある。

○ 判断力が保たれているため、病気になったことへの無念さ、悲観、挫折などが抑うつ的や短気になる傾向がある。

○ わずかなことに感動してないたり、怒ったり、笑ったりと感情をコントロールできない感情失禁もみられる。

ケアの留意点

○ 副次症状に合わせた薬剤投与で症状緩和を行うが、副作用の有無を十分い観察する。

○ 他の痴呆性老人と同様に、なじみの人間関係をつくる。

○ その行動を受容し、十分に耳を傾けてその意味を理解する。

○ 相手のペースに合わせ、その気持ちに共感しながら納得を得られるようにする。

○ 歩行障害がある場合には、転倒に十分注意する。

○ 寝たきりにならないようにし、適切な刺激を少しづつでも与える。

 

クロイツフェルト・ヤコブ病

疾患の概念

○ ウイルスより微小な病原体淡白(プリオン)による感染により発症する痴呆症状で、プリオン病ともいわれる。

○ 急激な脳萎縮が起こり、発症後1年で死亡してしまう例が多い。

○ 伝染性の疾患とされ、角膜移植や保存脳硬膜の移植、感染牛に関連するものなどによる感染が報告されている。

○ 有病率は百万人に一人前後といわれ、男女による差はほとんど認められない。

○ 発症年齢は50歳台に集中している。

症状・所見

○ 神経症状は多彩で、人格障害と痴呆を中核症状とする。

○ 初期には、無気力、抑うつ、記憶障害などの精神症状と、知覚障害、視覚障害、歩行障害などの神経症状を呈する。

○ 中期には痴呆が著明となり、妄想、失行や、構語障害、嚥下障害、不髄運動などが出現する。

○ 末期には、規律障害のほか無言、無動となって合併症を起こしやすく、全身衰弱、呼吸麻痺など予後は悪い。

ケアの留意点

○ 本症疾患に、注射器を使用する場合は、ディスポーサブルのものを使用する。

○ 伝染性ではあっても感染力はきわめて弱いことを職員に説明する。

○ 接触感染や経口感染による発症は考えられないため、過剰な対応は避けながら、他の痴呆性老人と同○ 様のケアを行う。

○ 注射器の針刺し事故には十分注意する。

○ 医療材料はできるだけディスポーサブルなものを使用する。

○ 患者の血液に触れた場合には、石鹸による手洗いを励行する。

○ 比較的早期に寝たきりになりやすく、肺炎、尿路感染症、褥創などの合併症に注意する。

 

脳出血

疾患の概念

○ 脳実質内の出血は、種々の原因で起こるが、もっとも頻度が高いものは、高血圧性脳出血である。

○ 高血圧が原因で、脳血管の壊死や微小血管の動脈瘤ができ、それが破れて出血を起こす。

○ 脳出血が起こると、脳組織が直接破壊されたり、一定以上の出血により血腫ができて頭蓋内圧が亢進し、脳組織を圧迫するための障害を起こす。

○ 高血圧のほか、頭部の外傷も脳出血の原因になる。

○ 日常生活時、特に食事、排便、入浴時に発症することが多い。また冬季など気温の変化の大きい時に多くみられるので、発症者以外でも注意が必要である。

症状・所見

○ 脳出血は前駆症状が無く突然発症する。

○ 発症すると、さらに血圧が上昇して、一般的に頭痛、悪心、嘔吐などが見られることも多く、次第に意識障害が進み、昏睡状態を呈することもある。

○ 数時間以内で症候が完成することが多い。

○ 血腫の部位により、失語症などの言語障害、感覚障害、片麻痺、起立歩行不能、四肢麻痺などがみられる。

○ 麻痺は発作直後は弛緩性であるが、次第に痙性となる。

○ 前駆症状が無く突然発症するが、頭痛や悪心がある場合に急激に症状が悪化することがあるので、注意深く対応する。

○ 出血部位により、軽症の場合には意識もはっきりしており、運動麻痺も軽度のこともある。

○ 中等度以上では、意識障害、運動障害が認めらる。

○ 急性期の脳出血の有用な診断は、CT検査であり、出血直後から血腫は高吸収(白い)陰影として認められる。

ケアの留意点

○ ゆっくりとした血圧のコントロールを考える。

○ 誤嚥性肺炎予防や尿路系感染症憎悪予防のため、抗生物質の投与も検討する。

○ 療養生活上、急激な温度変化が生じないような環境整備に留意する。

○ 急性期を過ぎたら寝たきりにさせないように、座位保持や離床に心がけ、褥創を作らないように注意する。

○ 片麻痺がある場合には、歩行時の転倒に注意する。

○ 食事介助の際には、誤嚥を起こさないように配慮する。

○ 感情の起伏が大きいため、できるだけ静かな環境を保ち、いらいらさせないように受容的対応を心がける。

 

脳梗塞

疾患の概念

○ 脳の動脈が狭くなったり(狭窄)詰まったり(閉塞)する疾患。

○ 原因としては、脳動脈のアテローム硬化により血栓が付着する場合(脳血栓)と、心臓内にできた血栓や大動脈・頚動脈にできた血栓が脳血管まで運ばれて閉塞を起こす場合(脳塞栓)などがある。

○ 脱水による血液濃縮、多血症によっても血栓は生じる。

症状・所見

○ 症候は睡眠中や、日中でも安静時に起こることが多い。

○ 片麻痺や失禁、構語障害や失語、失行、失認、嚥下障害、意識障害などを起こす。

○ 運動障害や自発性の低下から、寝たきりや脳血管性痴呆になりやすい。

○ 片麻痺では、両手の握力に差がある。

○ 座ったまま両手を前に出し目を閉じた場合、麻痺側の手が下がってくる。

○ 仰臥位で両足を軽く持ち上げ、眼を閉じると麻痺側の足が下がる。

○ 舌○ をまっすぐ出させると、麻痺側に曲がる。

○ 足の先を少し尖ったもので踵から指先へ、外側から内側にこすると、麻痺側で指○ 先が反ったり開く(バビンスキー兆候)

○ 無自覚の梗塞の場合には、眼を閉じると揺れが大きくなる。眼をつぶっている時、体がふらふらするのを自覚するようであれば、軽い脳梗塞を疑った方が良い。

○ 怒りっぽくなったり涙もろくなるなどの感情失禁の場合も、無自覚の脳梗塞を生じていると考えられる。

ケアの留意点

○ 動脈硬化症促進因子の予防に留意する。

○ 血圧のコントロールに注意する。

○ 再発予防のため脱水に気をつける。

○ 無自覚の脳梗塞が疑われる場合には、速やかに医師に報告する。

○ 寝たきりにさせないように、座位保持や離床に心がけ褥創を作らないように注意する。

○ 片麻痺がある場合には、歩行時の転倒に注意する。

○ 感情の起伏が大きいため、受容的態度で静かな環境を保ち、いらいらさせないように心がける。

○ 手足に麻痺がある場合には、ベッドでの等尺運動だけでも効果があることを理解してもらって施行する。

 

筋萎縮性側索硬化症

疾患の概念

○ 運動神経系の変性が生じるため、筋肉を動かすことができなくなる。

○ 次いで、咽頭喉頭部の麻痺をきたし食物が飲み込めなくなり、呼吸筋も麻痺を停止進行する。

○ 運動神経のみ侵され、感覚神経や自律神経などの他の神経は障害されない。

○ 原因は不○ 明だが、発症は中年期以降で9割以上が30〜70歳の間に発症する。男性に多い。

症状・所見

○ 筋肉が萎縮し筋力が低下し、次第に痩せてくる。

○ 筋肉が自然にピクピク動く筋線維束痙縮が認められる。

○ 安静時にも呼吸困難をきたしてくる。

○ 感覚障害、眼球運動障害、排尿障害などは末期まで認められない。

ケアの留意点

○ 病気に対する正しい知識を持ち、療養生活が継続できるよう指○ 導する。

○ 必要により経管栄養の指導を行う。

○ 精神的動揺を与えないようにし、精神的支援を最大の目標とする。

○ 廃用性機能低下の予防のため、残存機能の維持に努める。

○ 感染症の予防に留意する。特に経管栄養や人工呼吸器装着の場合は十分な管理が必要になる。

○ 嚥下機能が低下するため、飲み込みやすい食事を工夫する。

 

パーキンソン病

疾患の概念

○ 原因不明で中年以降、とくに40〜50歳台に発症する運動障害を主体とした進行性の疾患である。

○ パーキンソン病には運動障害のほか、自律神経障害や知的機能障害が認められることが多い。

○ かっては全経過は10〜15年と言われていたが、近年は治療法が進歩しており、改善を見せている。

○ 高齢で発症した場合は若年で発症した場合に比べ進行が遅い。

症状・所見

○ 振戦(身体の一部または全身の不随意で規則的なふるえ)、固縮、寡動、無動(動作緩慢)が3大主徴で、その他姿勢調整障害が認められる。

○ 顔面が仮面のような印象を受け、表情に乏しい仮面様顔貌を呈する。

○ 歩行の開始が困難なことがあり(すくみ足)、歩行時には手を振らず、前屈で小刻みに歩く(小股歩行)。

○ 歩き出すと止まらないことがあり、また、方向転換が困難なことがしばしばみられる。

○ 症状は一側の上肢に始まり、その側の下肢、反対側の上肢、下肢に広がることが多い。

○ 姿勢調節障害の場合には、わずかな姿勢の変化を立て直すことができず転倒することが多い。

○ 症状が進行すると起床だけでなく発語や嚥下も困難になり、転倒による骨折や誤嚥性肺炎を起こすことも多い。

○ 便秘、排尿障害、起立性低血圧、顔面紅潮、唾液分泌過多などの自律神経障害も認められる。

○ 症状の進行と重症度分類としてYahr(ヤール)の分類が用いられる。

ステージT

一側の障害のみで、通常の機能的障害はないが、あっても軽微

ステージU

両側または身体中心部の障害はあるが、姿勢保持の障害はない

ステージV

姿勢調節障害の初期の徴候がみられる。身体障害はやや障害されるものの、まだ軽度ないし中等度であり、介助なしでの日常生活は可能である。

ステージW

機能障害は高度で、起立歩行は介助なしでもかろうじて可能であるが、自力のみによる日常生活は困難である

ステージX

起床も不可能になり、介助ないと寝たきりまたh車椅子の生活を余儀なくされる

 

医療的な対応法

治療は薬物療法が主で、L−ドーパなどの投与で症状が軽減するが、治療が長期化するに従って効果が低下する傾向にある。

なお、ドーパミン作動薬には幻視を主とする幻覚や、焦燥、不穏などの症状があるので注意を要する。

抗コリン剤の投与も行われるが、痴呆症状を起こしやすいといわれる。

いずれも原因療法でないため、薬物療法を行っていても症状は進行する。

ケアの留意点

病気に対する正しい知識を持ち、療養生活を継続できるよう指導する。

病態や症状に応じた適切な薬剤管理を行う。

薬剤療法の重要性を理解してもらい、服薬指導を徹底する。

病気を受容できるように精神的支援を最大jの目標とする。

普通の日常生活を送ることができるように援助しながら、精神的刺激を与えるように心がける。

歩行時には転倒防止に注意する。

食事に際しては、誤嚥防止に注意する。

症状が重症化しても、寝たきりにならないように座位保持を援助する。

 

脊髄小脳変性症

疾患の概念

○ 小脳や脊髄の神経路が変性をきたし、運動失調を主症状とする疾患で、進行性に経過する。

○ 原因は不明で、遺伝性または弧発性に発症する。

○ 遺伝性要因や障害の部位によって、脊髄型、脊髄小脳型、小脳型の3つに分けられる。

症状・所見

○ 主症状は運動失調であり、失調製歩行(ふらつき)がめだつ。

○ スタンスを広くとり、両手を広げてよろめきながら歩き、転倒しやすい。

○ 症状は非常にゆっくり進行し、余り進行しないものも少なくない。

○ 病型により筋萎縮、不随意運動、自律神経障害を呈するものもあり、最終的には座位保持が不○ 可能となり寝たきり状態になる。

シャイ・ドレーガー症候群

疾患の概念

○ 自律神経障害をきたす中枢性疾患である。

○ 特発性起立性低血圧、本態性起立性低血圧ともいわれル様に、重篤な起立性低血圧と直腸膀胱障害を特徴とする症候群である。

○ 男性に多くみられる。

○ 原因は中枢神経の原発性変性とされ、自律神経、小脳錐体外路など多系統の変性を伴なう。

症状・所見

○ 初期の症状は、男性は陰委、性欲喪失、排尿障害が、女性は易疲労性、めまい感、暑さへの耐性減退(発汗低下)などを示す。

○ 進行するにつれて、立ちくらみ、めまい、失神発作などの強い起立性低血圧のほか、排尿、排便障害、動向以上が現れる。

○ さらに、構語障害、振戦、硬直などの小脳症状や、パーキンソン症状、筋萎縮、睡眠時無呼吸発作などが出現する。

 

<糖尿病性網膜症>

<糖尿病性腎症>

<糖尿病性神経障害>

糖尿病

 糖尿病とは、膵臓のランゲルハンス島から分泌されるインスリンの作用不足のため、糖が細胞内に取り込まれず、高血糖とともに体細胞の糖が不足し、ATP(アデノシン3燐酸)というエネルギーを作り出せなくなる病態であり、低栄養をきたす疾患である。

 わが国には、現在妬く300万人の高齢糖尿病患者がいるとされ、65歳維以上では15%が糖尿病を持っている。全年齢層では役600万人と推計されている。

 糖尿病は、ほとんどが無症状で、高齢者はとくにその傾向が強い。稀に非常な高血糖が持続した場合に、口渇、多飲水、多尿、体重減少、倦怠感などの症状が出現する。これらは尿中に糖が出ることによって起こる一連のものである。すなわち、先ず、尿中に糖が出ると尿浸透圧が高まり、腎から尿中に水分を余計に吸引するため尿量が増える。尿量が増えると体に必要な水分量が不足し口渇が起こり、水分補給のため多飲水となる。また、糖が本来入るべき細胞内に取り込まれないため、体重減少、倦怠感をもたらす。

 糖尿病は、さまざまな合併症をもたらす。特定疾患である、糖尿病性網膜症、糖尿病性腎症、糖尿病性神経障害が代表的なものであるが、免疫力の低下に伴ない化膿しやすい、感染症にかかりやすい、歯槽膿漏により歯が抜けたりなどや、虚血性心疾患、脳血管障害の発症が数倍増加する。

 また、インスリン注射や糖尿病薬を服用の患者では、低血糖による意識障害がみられることもある。

 治療は一生にわたり、第一に食事療法、第二に運動療法である。食事療法の基本は食事摂取量を減らし、肥満時には体重減少に努める。運動療法では、高齢者の場合にはとくに虚血性心疾患などに注意しながら、運動実施の適否を考える。食事療法と運動療法で不十分なときに初めて経口血糖降下薬を用いるが、低血糖症状には注意する。

低血糖は、空腹時に異常な空腹感、動悸、手のふるえ、冷汗などが出現し、めまい感、ボーッとした感じが自覚される。高齢者の場合は典型的な症状が出ずに痴呆を思わせるような異常な行動で現れる場合もあり注意が必要である。夜間の低血糖は、発汗や動悸があり、悪夢、寝起きが悪い、起床時の倦怠感や口唇、手足の痺れなどが起こる。

経口血糖降下薬で効果が不十分なときにはインスリン注射を行うが、血糖値の測定を厳密に行い、病態にあったインスリン製剤を選択する。

 

閉塞性動脈硬化症

疾患の概念

○ 腹部の大動脈や四肢(とくに下肢)の主幹動脈に動脈硬化が起こることで、血管内の狭窄または閉塞を生じて、末梢部に種々の虚血病変を呈する疾患である。

○ 主な原因は、講師血漿(とくに低いHDLコレステロール血症)、高血圧、糖尿病、肥満、運動不○ 足、ストレスなどが考えられる。喫煙も関係する。

○ 45歳以上、とくに60歳以上の男性に多く、男性が全体の8〜9割を占める。

症状・所見

○ 初期には下肢の冷感、しびれ感、色の変化(蒼白、チアノーゼ)などが生じる。

○ 進行すると、歩行時に下肢が痛む間歇性跛行を示し、さらに進行すると安静時にも痛みを生ずる。

○ さらに進行すると、皮膚軟部組織には潰瘍、壊疽が起こる。

ケアの留意点

○ 本症の危険因子となる疾患、合併症の治療管理を徹底する。

○ ストレスが過剰にならないよう、精神的ケアを行う。

○ 運動不足にならないよう、できるだけ体を動かすよう指導する。

○ 適度な規則正しい歩行運動は側副血行を発達させる。

○ 高脂血症、高血圧、糖尿病、肥満などがあれば、それぞれの疾患に応じた食事療法、栄養指○ 導を徹底する。

 

慢性閉塞性肺疾患

<肺気腫>

疾患の概要

○ 終末気管支から末梢の肺胞が破壊され、内胞が以上に拡大する疾患。

○ 気管支が障害されることにより、粘膜の腫れなどにより気管支閉塞を起こしやすい。

○ 肺胞が破壊されているため酸素の取り入れ、二酸化炭素の排出が困難となり、血液中の酸素量が低下する。

○ 喫煙が重要な因子となり、男女比は10:1と圧倒的に男性に多い。

症状・所見

○ 咳、痰が多くなる。

○ 呼気時には口すぼめ呼吸を行う。

○ ある程度病変が進行すると、体を動かしている(体動)時に呼吸困難が出現する。

○ 喘鳴、動悸、体重減少などがみられる。

 

<慢性気管支炎>

疾患の概念

○ 医学的に「慢性」とは「2年連続して、毎年3ヶ月以上ほとんど毎日」咳や痰があるとされている。

○ 気道壁が障害されて痰が多くなり、気道も狭くなって呼吸困難を呈する。

○ 加齢、性別など個人の条件や、大気汚染、ウイルス感染、喫煙などさまざまな要因が重なって発症する。

○ 通常、男女比は2:1程度といわれる。

症状・所見

○ 咳、痰が毎年継続して起こり、2年以上にわたって続く。

○ 体動時の呼吸困難を伴なうが軽症のことが多い。

○ 呼吸困難時には喘鳴を伴なうが、気管支喘息と異なり発作性はない。

○ 慢性気管支炎は太ったタイプに多いといわれる。

 

<気管支喘息>

疾患の概念

○ 気道の平滑筋の収縮によって、気道が発作的に狭くなり呼吸困難になる疾患である。

○ 原因は気道の慢性炎症であり、発作性の喘鳴と呼吸困難を伴ない、気道に過敏性がある人の場合罹りやすい。

○ 気道の過敏性は、アレルギーを含めてさまざまな刺激(精神的ストレスも含む)に対して正常者の100倍にもなり、気道が収縮しやすい。

○ 喘息発作はウイルス感染症後にも起こり、高齢者の場合には主に感染によって起こるとされている。

症状・所見

○ 呼吸によって喉がゼーゼーいう状態(喘鳴)になり、呼吸困難を起こす。

○ 夜間から早朝にかけて、あるいは夕方の安静時に、喘鳴や呼吸困難などの発作が出やすい

○ 季節や天候の変わり目にも出やすい。

○ 発作時には起座位をとると楽になるが、呼気で辛く感じる。

○ 発作が治まると一般には無症状となる。

 

<びまん性汎細気管支炎>

疾患の概念

○ 気道の末梢細気管支に起こる慢性の炎症である。

○ 多くは蓄膿症を持ち、重症では抗生剤が繰り返し投与されるため、薬剤耐性緑膿菌を起こし、難治性となる。

○ 喫煙や排気ガスなどによる気道への刺激のほか、体質や栄養状態などが影響すると考えられているが、原因は不明である。

○ 日本人には比較的多いとされるが、近年減少傾向にある。

症状・所見

○ 咳と痰が長く続き、体動時に呼吸困難を起こす。

○ 初期症状は軽い咳や呼吸困難を呈するが、次第に痰を伴なうようになる。

○ しばしば喘鳴がある。

○ 痰は初期は少量で無色、粘液状だが、増悪するに従い、量が増え膿状になり黄色または緑色を呈する。

○ 多くの場合、慢性副鼻腔炎を合併しており、鼻汁、鼻閉を認める。

 

両方の膝関節又は股関節に著しい変形を伴なう

変形性関節症

疾患の概念

○ 関節軟骨の退行変化とそれに続く軟骨・骨の破壊及び増殖性変化によって起こる。

○ 以前に罹患した疾患・外傷などに起因する二次性のものと、老化によって磨耗変性をきたす一次性のものがある。

○ 発症部位は膝関節が最も多く、股、肘、指、肩などいろんな部位に生じる。

症状・所見

○ 痛み・運動障害を生じる。

○ 変形性関節症では痛みに伴ない関節に水がたまる。放置しておくと変形はますます強くなる。

○ 関節使用時、とくに起床時など関節が長時間活動してなっかた状態から動かし始めた時に痛みが生じる。

○ 重度になると歩行が困難になり、車椅子使用になる。

○ 膝関節症では、膝を曲げたり伸ばしたりが痛みのために困難になる。

○ 股関節では、脚を開いたりできなくなり、重いものを持ったりすると痛みが生じる。

○ 指○ 関節では、指先の関節が赤く腫れ痛みを伴なう。次第に指○ 先が変形する。

ケアの留意点

○ 肥満者の場合には体重減少の指導を行う。

○ 関節にかかる過重を減少させるために杖の使用を指導する。

○ 筋肉の拘縮を予防するため、ベッド上でも可動域訓練を行う。

○ 消炎鎮痛薬の投与が行われている場合には、消化器疾患の副作用(とくに胃潰瘍)の発症に注意する。

○ いたむ部位を冷やさないようにする。

○ 入浴時には筋肉をほぐしたり、関節を動かすように介助する。

 

慢性関節リウマチ

疾患の概念

○ 自己免疫疾患、全身の結合組織に炎症を生じる疾患。

○ 関節を主病変とし、皮下結節、間質性肺炎、胸膜炎、血管炎など全身の結合組織に病変が生じる。

○ 20〜40歳台の発症が多く、一般に女性の罹患率は男性の3〜5倍といわれる。

症状・所見

○ 多発性、対称的に出現するのが特徴である。

○ 発症初期には指・手関節のこわばりがみられる。とくに早朝起床時に指を動かそうとしても力が入らずこわばる(朝のこわばり)

○ 増悪すると、手・指関節や足首などの小関節から、次第に膝、股などの大関節に病変が及ぶ。

○ 関節の疼痛、腫脹、熱感、圧痛が強くなる。

○ 外からの圧迫を受けやすい肘頭、手背、後頭部などに結節(リウマチ結節)が生じることもあるが、この皮下結節は可動性で圧痛はない。

○ 全身倦怠感、食欲不振、貧血があり、微熱がみられる(結核との鑑別が必要)

○ 皮膚は萎縮し、毛細血管が透けてみえ、また皮下出血や紫斑が出やすい。

○ 関節の上下の筋萎縮を伴なうため、関節の腫脹が紡錘型になる。

 

後縦靭帯骨化症

疾患の概念

○ 脊柱管(脊髄の通る管)内の後縦靭帯が異所性骨化によって、脊髄や神経根を慢性的に圧迫することで脊髄障害が起こってくる疾患である。

○ とくに頚椎部に好発する。

○ 通常40歳台以降に発症するが、遺伝的要因も認められる。

症状・所見

○ 無症状のこともあるが、初期には一般に頚部の可動域が制限される。

○ 頚椎部の障害では、手足のしびれや歩行の不安定などに始まり、進行するとボタンかけ、箸の使用など細かな動作が困難になる(四肢巧緻運動障害。細かな動作が下手になる)

○ 胸髄圧迫の場合は、上肢には異常がなく下肢の痙性対麻痺を呈する。

○ 一般に両側性が多いが、左右差もしばしばみられる。

○ 知覚鈍麻、四肢麻痺、直腸膀胱障害を呈することもある。

 

脊柱管狭窄症

疾患の概念

○ 脊柱管(脊髄の通る管)の狭窄により、脊髄などが絞扼されて生じる疾患である。

○ 原因としては、脊椎の発育障害や退行性変化があげられ、狭窄の部位によって腰部脊柱管狭窄症、頚部脊柱管狭窄症などが代表的である。

○ 椎間板変性も狭窄症発症に関与する。

症状。所見

○ 腰部脊柱管狭窄症では腰痛が起こり、さらに下肢の痛みやしびれ、知覚異常、間歇性跛行が生じる。

○ 腰椎を伸ばすと下肢の痛みやしびれが増強し、運動障害、アキレス腱反射の低下・消失、痙性四肢麻痺などを呈する。

○ 頚部脊柱管狭窄症では首や肩の凝りや痛み、両側手足のしびれで発症し、進行すると手先の細かい動きが障害される。

○ これらの症状は、立位や歩行によって増強するが、休息することで再び歩行が可能となるが(間歇性跛行)、放置しておくと次第に悪化する。

 

<骨折を伴なう骨粗鬆症

疾患の概念

○ 骨粗鬆症とは、骨組織の組成は正常だが、単位体積あたりの骨の量(基質と骨塩)が減少した状態をいう。

○ 骨組織には加齢や女性ホルモンの減少、ビタミンDに起因する原発性と、疾病治療に用いられる副腎皮質ホルモンの投与や甲状腺機能亢進症に起因する続発性に分けられるが、一般には原発性をさす。

○ 発症は、圧倒的に女性に多く、閉経後の女性ホルモンの減少とともに発症する。

症状・所見

○ 臨床的には脊椎圧迫骨折が最も多いため、腰、背中に倦怠感を伴なう痛みが生じるが、無症状のこともある。

○ 体動により増悪し、安静により軽快するが、寝返りなどで強い痛みを訴える。

○ 脊椎圧迫骨折は、本人が自覚しないうちに尻餅をついたり、運動したりすることで生じる。

○ 背中が反りにくくなったり、円背,加齢とともに低身長になるのも脊椎圧迫骨折が原因である。

○ 一般意に70歳以降の骨粗鬆症では、皮質骨の減少により大腿骨頚部骨折や肋骨の骨折が起こりやすい。

○ 閉経後の60歳半ばまでの骨粗鬆症では、海綿骨の減少により脊椎や手関節周囲(橈骨末端)の骨折が起こりやすい。

○ その他、転子部骨折、上腕骨頚部骨折などが起こりやすく、起立不能、歩行不能となる場合もある。

 

<早老症>

疾患の概念

○ 稀な疾患で年齢の割りに早期に老化に似た病態を示す症候群。常染色体劣勢遺伝と考えられている。

症状・所見

○ 低身長、白髪、脱毛、老人性顔貌などのほかに、肥満性の体躯の割りに四肢が細いなどの症状を呈する。

○ 白内障、皮膚の萎縮と角化、骨粗鬆症、性腺機能低下、糖尿病などの症状も出現する。

○ 糖尿病は過半数にみられる。

○ 肉腫などの悪性腫瘍(とくに脚部)を合併しやすい。

 

 

将来人口構成推計

        

 

ユニットケアとは?

・ 少人数の入所者と専門職員からなる小規模な生活集団

・ 共同・ 生活を行うことによる日常生活でのケア

個別ケアを実現するひとつの方法として重要

・ 特に痴呆性高齢者のケアに有効(グループホームの応用)

在宅復帰を視野に入れたケア

 

介護老人保健施設におけるユニットケアの意義

○ 個別ケアのための場として

・ 入所者とスタッフの間でお互いの顔が見える人間関係づくりが重要

○ 在宅復帰のための生活リハビリの場として

・ 日常生活行動を通した生活リハビリに適し、在宅復帰に寄与する。

・ 在宅復帰に備えた日常生活訓練の場

○ 家族との絆を維持するために

・ 家族を含めて、相互の顔がみえる人間関係づくりに寄与する。(たとえば、面会者が誰の家族かわかりやすい、面談がよりしやすくなるなど)

・ 在宅復帰、通所リハビリへの移行、繰り返し利用などへのつながりが出来る。

○ 痴呆性高齢者ケアの場として

・ 軽中度の痴呆性高齢者のケアと在宅復帰に対する効果あり

・ 少人数なので、入所者にとって他の入所者とスタッフが認識しやすい

・ 小さな環境なので身のおきどころがわかりやすい

○ 家族的な生活環境として

・ 一定期間にわたって生活の拠点となる場として家庭的な環境つくりが大切・

 

 

介護報酬改定

2002年12月10日 朝日新聞

 

介護報酬 施設は下げへ

厚労省 来年4月「訪問」は上積み

          −介護報酬改定はこうなる −

 

現行

改定方針

 

訪問介護

身体介護(1時間4020円)家事援助(同1530円)複合型(同2780円)の3区分

身体介護、生活援助の2区分に。生活援助の報酬は家事援助より高くする。滞在型よりも短時間のサービス報酬を手厚くする。

ケアマネージャー

要介護に応じて3段階(16500円〜8400円)

報酬を一本化し引き上げる。質の向上を促すため、4種類以上のサービスを組み合わせたケアプランに加算。訪問・面接をしないなど手抜きがあれば減算。

通所介護

通所リハビリ

ケア18時間まで

12時間の延長が可能に。個別のリハビリは報酬を加算(通所リハ)

グループホーム

夜間は宿直

宿直で対応できない夜間ケアに報酬を加算(夜間加算)

介護タクシー

身体介護(30分未満2100円)と同じ

乗降時の介助に限定した報酬を新設。身体介護より報酬は下げる

特別養護老人ホーム

一人当たりの月額平均給付額は訳28万円

個室・ユニットケアの新型特養では、居住費としてつき45万円を、1割の自己負担分とは別徴収

老人保健施設

同上薬30万円

訪問リハビリを新設

介護療養型医療施設

同上38万円

要介護度別の報酬を拡大。重度により手厚くする

 

 

介護保険からの事業所に支払われる介護報酬について、厚生労働省の社会保険審議会介護保険給付費分科会(西尾勝・分科会長)は、9日、来年4月の初改定に向けた基本方針をまとめた。物価下落などをふまえ、介護報酬は全体として引き下げる。

 一方、ケアマネージャーなどについては、限られた財源を重点配分し上積みする。

 介護サービスの量は来年度から3年間で18%の伸びが予想される。そのため、来春から多くの自治体で介護保険料の上昇が避けられない。

 基本方針は、保険料の上昇幅の抑制が必要としている。このため、介護保険から事業者に支払われる費用の総額の6割近くを占める施設関係(特別養護老人ホーム老人保健施設介護療養型医療施設)の報酬を全体として引き下げる。 また、通所介護、介護タクシーなども引き下げる。

 例外的に上積みになるのは訪問介護ケアマネージャーグループホーム。いずれも在宅介護重視の理念の実現に向けた引き上げとなる。

 訪問介護は「生活援助」(現行では家事援助)の報酬をお引き上げる。グループホーム夜間ケアに新たな加算をつくる。

 施設関係では、個室を備え少人数のユニットケアをする新型特養への報酬を手厚くする。

 具体的な介護報酬単価は、来年度予算編成との関係で、年末にかけての財務省との折衝をふまえ、来年1月20日の同分科会に諮問される。

 

 

死期が近い時期、死亡時、死亡後、家族のもめごとが起こる場合がありますか?

「看取りのアンケート調査」結果(医療経営最前線No153 看護部マネージメント編)

コメント抜粋

自宅で看取りたいと思う家族がいたり、遺産の問題がからむ場合。

独り暮らしをしていた方が死期を迎える時、最期まで誰が面倒を見るかetc

あまり家族が来ない人に限って不を訴える。

・ 霊安室がないこと。

家族間に意思統一が無いとき、治療方針、看護ケアの対応について。

・ なくなった方を借家に連れて帰れない。

・ 死期に肉親が来られなかった時。

・ 兄弟不仲で充分なコミュニケーションがとれていない場合、充分に看護なさらなかった方からの一方的な不満

・ 家族内でのコミュニケーション不足

・ 対応について。

・ 人工呼吸器装置に驚き、見ていられないと言う言動がある。

・ 1、急変して死亡の時、なぜかと問い詰められる。

2、半年くらい経って死亡したことに対してなんでかと問い合わせがある。

予測できない急変と事態の受け入れが出来ないとき。

・ 家族が精神的に動揺する時。

・ 高齢者で軽度痴呆(?)の夫、家族間の問題が表面化する。死体処置後ローレックスの時計と指・ 輪をナースが盗った、ドクターに妻が殺されたなど。

・ 身近な人で間に合わない時どうするか。独居の場合どこに戻るか。葬儀をどうするか。

・ 揉め事ではないが、死亡診断など家族が充分納・ 得していない場合など。

・ 年に1回あるときも、(医師の)説明不・ 足によるもの。

・ 看護師の対応、医師処置の問題など。

死亡に立ち会えない。予測された死亡時間と異なる。

・ 有ったことが無い。

・ 同・ 居家族と、遠方から、または稀にしか面会に来ない親族

急変により死亡された場合。

・ 生前中の医療サイドの対応について

・ 併設施設からの急変を受け入れ死亡した時に病状変化に対するご家族の疑問が出ることがある。

夫婦間のトラブル(別居状態の場合)、金銭、遺言状など。

・ 付添い、死後の引き取り、経済など。

・ 死期が近いことを受け止められない。家族が死亡時間に間に合わない。

・ 家族に充分な病状説明がされていない場合。

・ 荷物、金

・ 再度、蘇・ 生して欲しいと要望されること。

在宅死を望まれていなかった。親族が怒って入院の必要性があったと訴える。

嫁と娘の折り合い。

・ ご家族に死の受け入れが出来ていない場合、医師の説明を受け入れられない。

・ 家族関係。

・ 何かほかに手立てが無いのかと言われたことあり。

・ 施設のターミナルの経験は5年間で1例のみである。

・ 親族が遠方より来て、治療方針に対する意思決定が統一されていない場合。

死の受け入れが出来ていなかった時。

・ 日頃面会はしてないで、その時病院にいらして病状をよく理解していない家族

・ 家族内の話のまとまりがつかない時。

・ 家族間。

担当医のムンテラが充分行われていない時。

死亡原因について。

・ 患者背景によって千差万・ 別である。

・ 死亡後、創部や腹水の漏出などによる汚染があった時。

宗教・遺産・家族関係性の問題。

・ 看取りの場合。急変時、時にはある。

・ 病状コントロールについて。死後の対応について。

・ 医療処置・ドクターの説明など。

独り暮らしで、子供が数人いる時のお葬式・財産分与について等。

・ 通常患者と面会していない身内が、経緯が見えない部分で意義を申し立てる。

・ 蘇・ 生時、入室を拒否されたクレームが出た。

・ 老健ではもっと早い時期に医療施設(病院)で治療して欲しかった。

・ 普段患者に関わっていない遠くにいる子供たちが、いろんなことに口を出す。

・ 別の家族に死亡が伝えられていなかったことがあった。

・ 間に合わない親族があった場合。

・ 検査入院中に、内視鏡的胃瘻造設術をした後から状態が悪化し、同・ 意したキーパースンの人が責められたり、他の治療方法、および(別の)施設があったのではと、同・ じくキーパースンの人が責められる。

・ 病状、治療内容について在宅で看取るのかなど。

・ 老健での看取りを最後になって、一部の家族からクレームのつく事があり。

・ 最期まで在宅で看取るか、医療機関に入院するか。また、延命措置は。

・ 単純に表現できない。が、何処で葬式をするか、何処につれて帰るか。

急に悪化した時。

家人の受け入れの問題。

・ 死亡された人の妻と母が別の宗教だった例。

・ 一部の親戚には知らせないで欲しい。

・ パニック、死を受容できない時。経済的なこと。家族背景。

インフォームドコンセントで、レスピレーターは装着しない方針であった。痰の窒息で挿管、レスピレーターを装着した事例。家族はレスピレーターを装着して欲しくなかった。

家族の折り合いが悪い場合。

・ ホスピス転院に関して、ナースの対応、家族間のもめごと。

・ 家族と親戚による治療方向。

突然出現された家族によって、合意された内容が変更になる。主治医と家族が合意される前に死の転機をたどった時。

・ 数日前に点滴が漏れてすぐに再開しなかったのが、死の原因ではないか。

・ 遠くにいる家族や近所の知り合いの人等が、状況(理解していない人が多い)がつかめず家族に言い寄る。

・ 家族が死因いついて疑問をもたれる場合(問題が無くても)

・ 患者さんがアパート住まい等で親族の方誰が遺体がを引き取るかで揉めることがあった。

急な病状の悪化で、救急蘇・ 生をするかどうかの方針が熟慮されていない時。

・ 遠方に親族が居られるときに帰省のタイミングが悪く看取りが出来なかった時。

・ 親族が死亡時に間に合わなかった時など。

インフォームドコンセントが十分に取れていなかった。死期に関してと言うより日頃の対応から問題になっていると思う。

・ 高齢で親兄弟なし、甥姪になると難しい。

・ 同・ 居者が居ず、独りの方の時、遺体を誰が引き取るかで揉めた。

自宅で看取りたい、病院の方が良い等、家族の意見がまとまらない時がある。

・ 病状の受け入れ理解が悪い場合、過敏に反応あり。

・ 「・ 家族間でもっと早く知らせて欲しかった」・ など。

 

どのようなこと内訳(アンケート全体176件、病院167件、老健6件、訪問看護3件)

 

全体

病院

老健

訪問看護

遺体の引き取りに関すること

33(18.8%)

32(19.2%)

1(16.7%)

 

お金に関すること

31(17.6%)

30(18.0%)

1(16.7%)

 

延命措置に関すること

11(6.3%)

11(6.6%)

   

葬儀に関すること

8(4.5%)

8(4.8%)

   

連絡に関すること

5(2.8%)

5(3.0%)

   

その他

88(50.0%)

81(48.5%)

4(66.7%)

3(100%)